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乙9期 森田勝さん2012年10月29日 09時52分35秒

※森田さんのことを調べられている方、ご遺族の方ですか?
よかったら連絡いただけないでしょうか。管理人
hinemos.mama@gmail.com

※森田さんの写真でここに出していない写真をアップしました。→ここ



大正12年生まれ、北海道出身
※『日本陸海軍航空英雄列伝』には大正12年生まれと書いてあるのですが、大正10年生まれという資料もありました。

戦闘機

東京行軍

整備実習

操縦専修

操縦専修

飛練・谷田部 「横須賀海兵団」

飛練・谷田部

胸元の名札に「森」という文字。

横須賀所属の「森」何とかさんは森田勝さんだけなので森田勝さんと判断しました。
あと、ここには出していませんが、水泳集合写真(褌一丁)にも写っていて、そこでは褌にはっきり大きく「森田」と書かれています。


「おもいで」
「君の武勲を羨ましく思って居た。俺に片翼での飛び方を教えてくれ、いつもにこにこしていて鷹揚ないい男だった」
「色白な君はいつも背を一寸曲げていた。上村教員にはお気に入りの好青年だった」
「百里ヶ原での適性飛行で小俣教員の担当でしたね。体躯に似合わず細い声だったが、小俣教員から操縦になるなら森田のようにやれと言われたもので、君の操縦技術は羨ましかった」



予科練卒業時の色紙
乙9期に「森田」は3人いるのですが、他の守さんと豊男さんはそれぞれ色紙のことばが特定できているので、このことばは残る勝さんのことばだと思われます。

これを見ると、森田さんは予科練卒業時の希望は攻撃機だったのでしょうか・・・・。
他にも何人か、最終的な機種とは違う機種を希望していたことをうかがわせることを書いている人がいます。




森田さんのことは「片翼帰還の勇士」として『日本陸海軍航空英雄列伝』にも紹介されています。
破損した零戦の前に立つ本人の写真入で。

「開戦とともにダバオ、メナド基地に進出。昭和17年1月21日、ケンダリー飛行場索敵攻撃に参加した森田3飛曹は、0945メナド基地に出撃、1135ケンダリー上空制圧ののち、敵戦闘機を発見できず地上銃撃にうつった。しかし、低空銃撃中、左主翼に対空砲火が命中し、日の丸中央部、ピトー管付近より先を吹 き飛ばされた。だが、奇跡的に安定を取り戻し、片翼機を巧みに操縦して単機のまま3時間飛行ののち、1420メナド基地に無事生還した。
 この森田3飛曹の沈着冷静、片翼帰還の壮挙に対し、特別善行章一線付与が上申された。
 引き続き、ジャワ島東部航空進攻作戦参加のため、2日、バリクパパンに前進した森田3飛曹は、2月3日、指揮中隊第2小隊3番機としてスラバヤ攻撃に出撃したが、未帰還となり戦死と認定された」

17年2月3日 スラバヤ攻撃 3空

※画像は武田信行氏ご提供(松本さんご遺族所有)

乙9期戦没者はこちら

乙9期 木村裕さん2012年10月29日 15時44分11秒

※編集し直しました

千葉県出身
戦闘機

木村さんの場合は、西澤さん所有の台南空下士官搭乗員集合写真の裏書きに、「木村」とあるので、この人が木村裕さんで間違いないんだと思います。

【予科練時代】
東京行軍集合写真より(13年6月)。

鹿島神宮参拝時集合写真。



この2枚は、陸上機操縦専修班の集合写真。


整備実習集合写真。

木村さんの予科練時代の写真はもう一枚あるのですがーーーー。
水泳写真。
海軍さんなんで、別にハダカが恥ずかしいとかそんなんはないと思うのですがーーーー。
出されたら木村さんがいやがるかも知れない写真なのでやめておきます(^_^;)


予科練卒業時、色紙のことば「大空ヘノ第一歩  木村」


【飛練時代】
陸上機操縦谷田部組。海兵団ペンネント写真。
千葉県出身の木村さんは「横須賀海兵団」。

飛行服写真。
名札は見えません。


【台南空時代】
17年6月?
これが、西澤さんが裏書きに「木村」と書いている集合写真の木村さんです。
他の木村さん写真は、これを元に探しました。

17年6月。ラエ。
中島隊長と高塚飛曹長を囲む搭乗員たちの集合写真。

上と同じ時の写真のピンぼけ版。

17年8月4日集合写真の木村さん。遠藤さんの右。



4年の間に大人になったなあって思いませんか?

いつも無愛想な感じで写っている木村さん。
男は黙って勝負する、ってタイプの人なのかな、と勝手に想像。
筆跡も硬派な感じがする。        ※あくまで個人の感想です


写真や行動調書を見ていて思ったのですが、木村裕さん、新井正美さん、羽藤一志さん、この3人って、予科練入隊から戦死するまで4年以上、ずっと離れず一緒だったんじゃないかなあ・・・・
あと、熊谷賢一さんも。

13年6月 予科練入隊
16年10月 飛練卒業
(この間がちょっと不明)
17年2月 千歳空、4空
17年4月 台南空



「おもいで」から
「背が高く純情可憐、いまだボンボンの面影あり」
「背の高さも口数の少なさも我がクラスでは三役級か?」


17年8月8日 ソロモン 台南空





※東京行軍、整備実習写真は羽藤さんご遺族所有。
それ以外の予科練飛練写真は松本さんご遺族所有・武田さんご提供。
台南空時代は西澤さんの所有写真で武田さんご提供。


乙9期戦没者はこちら

丹次郎とちょーちゃんのマツモ2012年10月29日 16時57分28秒

丹次郎とちょーちゃんの水槽にはマツモが繁っています。


ふたりとも食べないからです。
(ちょーちゃんも、こっちに来たら食べなくなった)

最近は一部苔がついてきて、表面が茶色くなっていました。

見栄えが悪いし、もしかしたらマツモにとってもよくないかも知れないと思い、洗ってあげようと思いました。

苔のついている部分をつかんで、ズルズルと引っ張り出したら。
「あれ・・・・? あれ・・・・? あれ・・・・?」
延々ついてくるではないですか。

「これって一本やったっけっ!?(゜Д゜)」

結局、全部ついてきてしまいました。





買ってきたときは30センチぐらいだったんですよ。

ママの身長159センチ。

真ん中で折り返して持っています。

3メートルに育っていた!!(ノ゚ο゚)ノ