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西澤廣義飛曹長2012年10月26日 00時14分22秒

今日は西澤さんの命日です。


毎年この日はこのことを思うのですが、反面、思いたくないような気持ちもあります。

西澤さんの無念について―。

四等航空兵として予科練に入隊してから八年。

19年10月26日。

あの日、部下を連れ輸送機に乗って・・・・。

ミンドロ島上空。

きっと敵戦闘機に遭遇したという自覚はあったのだと思うのです。

そのときの西澤さんの気持ちを想像すると、もう、何というか、胸が押しつぶされるような気持ちになるのです。



「自分の命は捨てても、後輩だけは助けてやりたい」
そう言っていた西澤さん。
自分のことより、部下を連れて輸送機に乗ってしまったことに対して、激しく後悔したのではないかなあ・・・・とわたしは想像しています。




西澤さんの遺品・台南空時代の准士官以上(大木1飛曹含む)からの寄書き

※冒頭画像は下士官時代、武田信行氏ご提供

乙9期 松本勝正さん2012年10月26日 09時13分55秒

愛媛県西条市出身、松本勝正さん。
中攻操→戦闘機



【予科練・飛練】
東京行軍


どこかの桟橋


鹿島神宮


操縦専修・整備実習


操縦専修


操縦専修


操縦専修・飛練・谷田部


操縦専修・飛練・谷田部


中攻操縦専修生集合写真
たぶん16年10月 木更津

16年10月に木更津から自分の写真を実家に送っていることがわかる書簡がありますが、そこに、
「ちょっと帽子が大きくてブサイクです。下士官でなくて帽子官でせうか?」
と書かれてあり、送った写真が下士官一種軍装姿であることをうかがわせます。
この集合写真かどうかはわかりませんが、松本さんの一種軍装姿、めちゃめちゃかっこいいです。「帽子官」なんかじゃあないですよーーーー。

で、この集合写真の松本さんを拡大印刷し、戦闘303時代、同じ隊だったAさんに「飛練時代の松本さんですよ」とお見せしたところ、
「えっ!? これ、松本先任っ!?」
と驚かれていました。
↓戦闘303時代は一番下、ヒゲ(笑) よっぽど印象が違うのでしょうか。
Aさんは松本さんの似顔絵もご自分で描かれて持っておられましたが、それもヒゲでした。




【実施部隊】
※同期生・大正谷宗市さんの写真から

大正谷さんと一緒に写っているので、現時点では17年台南空か6空時代ではないかと想像しています。
色つきのマフラーだーー。
でもまだ初々しい感じ?


戦闘303 北千島時代。
19年夏頃?
さすがに初々しくはない(笑)

初めて松本さんのヒゲ写真を見たときは衝撃でしたが、見慣れてくるとこれはこれでめちゃめちゃイカシテいます。
”頼れる男”って感じです。



予科練時代の色紙




松本さんの人柄については、風媒社というところから『ジュンちゃんへ 戦争に行った兄さんより 少年航空兵・松本勝正からの手紙』という書簡集が出ているので、わたしがあれこれここに書くより、これを読んでいただく方がわかるかと思います。




19年10月26日 セブ島から輸送機で移動中、ミンドロ島上空で敵戦闘機に襲われ戦死




※画像はご遺族所有・武田信行氏ご提供、羽藤さん遺族、Pさんご提供


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