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林喜重中尉の写真2012年10月12日 11時22分16秒

実は、林喜重さん、すごく気になる搭乗員の一人です。


歴史街道に掲載されていた林喜重中尉の写真。
見た感想です。ひとりごとのようなものなので、お気になさらずに。

※イメージ、イメージです
↑こんな感じで少し上方向を見つめている写真です。
階級章の桜の数がわかるぐらいめっちゃ精細。

どうやら編集段階で林さん部分だけトリミングされているような・・・・。
そうなると元々の背景が気になるんですけどーーーー。
どこ(飛行場とか指揮所前とか)で撮った写真?
どんな状況でこのポーズになったのか?
だれかと一緒に写っているのか?


いちおう、写真のキャプションは、
「林喜重。昭和18年4月25日、ラバウルにて。当時はマラリアに罹患しやせ細っていたという」
なるほど、いかにも病み上がりっぽいやつれぶりです。
林さんの写真は何枚か見たことがありますが・・・・もとから小柄で華奢なタイプかとは思いますが、こんなやつれた林さんは他に見たことがない・・・・
つーか、最初にこの写真を見たときに林さんだとわかりませんでした。キャプションに林さんだと書いてあるのを見てやっと、
「あっ」
となった、って感じ?


で、「18年4月25日、ラバウル」。
内地で錬成していた251空がラバウルに再進出しようかという時期です。
同じく251空戦闘機隊に所属していた分隊長の大野竹好中尉(兵68)の手記(『零戦かく戦えり!』)にここらへんのことが書かれてあるので、それを簡単にまとめてみると、

18年4月24、5日頃?   先発隊として中島副長や大木飛曹長がラバウル入り

    5月1日         大野中尉、連絡があり輸送機に便乗しひとりでラバウルへ行く

    5月7日         最上川丸で人員・物件輸送。

    5月10日        飛行機隊(戦闘機59機、偵察機8機)トラックからラバウルへ移動

その後、5月14日に251空の初陣(オロ湾在泊艦船爆撃隊直接掩護)を迎え、林中尉も第4中隊第2小隊長として元気に(←たぶん)出撃。

わたしはてっきり林さんはみなと一緒に5月10日の飛行機隊移動(自分で操縦)でトラックからラバウル入したものと思っていたので「18年4月25日、ラバウルにて」のキャプションは衝撃でした。


林さんが4月25日にラバウルにいるためには中島副長の先発隊のメンバーに含まれていなければなりません。大野さんの手記からは、大木さん以外の先発メンバーは不明。
ただ、その頃ラバウルに到着したのだとしたら、着いた早々「マラリアに罹患してやせ細っていた写真を撮られた」というのはちょいとおかしいような?(^_^;)

「18年4月頃」ではなく「18年4月25日」と日付特定して書かれているということは、写真にご本人による裏書きでもあったのでしょうか。

「ラバウルにて」はまず間違いないんだと思います。
林さんが中尉の階級章をつけた防暑服姿で写真を撮れるとしたら、251空か253空のラバウル時代だけ。

ただ、わたしがもしこの写真を何の説明もなしに見せられたら、
「18年8月以降、ラバウルの林さん」
だと思うだろうなあ・・・・。
251空時代か、253空時代かはこの写真からは判断できません。
誰かと一緒に写っているのであればそこからわかるかもしれませんが、林さん単独だとちょっと難しい。

なぜ「8月以降」だと思うのかというと、林さんがダウンして長期戦列を離れたのは8月7日以降だからです。
それ以前では、6月24日から7月2日の間が搭乗なしですが、この間、搭乗なしの人が他にも結構いるので(西澤さんとか山崎さんも)、この間の”搭乗なし”は病気ではないだろうと想像しています。

8月7日を最後にお名前が見えなくなってしまった林さん。
251空時代はそのままもう復帰することはありませんでした。
次に行動調書にお名前が出てくるのが253空、10月1日なので、もしマラリアにかかったとしたら、この間なんじゃないかと(18年9月1日 253空附、10月1日 253空分隊長)。

というのが、写真を見たわたしの感想です。
※この写真の林さんが「病み上がり」という前提

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