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乙9期 久米武男さん2012年09月30日 14時51分06秒

台南空・久米武男3飛曹。
わたしにとって謎の人でした。

台南空の行動調書に出てくるのですが、5月4日のラエ基地上空哨戒を最後にパタッとお名前が出てこなくなります。

その後、一体どうされたのか。

次にお名前を見かけたのは、吉田一平(年宏)さんの手記。
18年11月、三亜空教員としての久米武男さんです。

零戦の空輸で、堀さん(乙10期、堀光雄上飛曹。吉田さんの手記ではなぜか久米さんより堀さんの方が先任者扱い)、久米さん、吉田さんが一緒に行動した様子が描かれています。

内地から三亜に零戦を空輸する際のこと。
途中の台湾から再び内地に引返すことになり(休暇付)、3人で実家へのおみやげにと台湾バナナを落下傘バッグに入れて無理して持ち帰った話が出ています。

輸送機は鹿屋に到着。そこから3人は日豊線。
堀さんは岐阜で下車し実家へ。吉田さんも名古屋で降りて実家へ。
久米さんは佐賀出身なのになぜか佐賀へは帰らず、再集合地点の横浜へ直行されたようです。

で、このとき、再集合した横浜の宿にコメディアンのエンタツアチャコがいて、一緒に語り合ったとのこと。3人は最後にマフラーに似顔絵・サインをしてもらったらしいです。

さぞかし得意げに仲間に披露したのではないかと思い、3人と同じ航空隊だった搭乗員さんにこのマフラーのことをお聞きしてみたのですが、そんなマフラーを見せてもらった記憶は無いとのこと。ヒトに見せずに秘蔵していたのかな。

堀さんと久米さんといえば・・・・。
お二人とも元・台南空です。
でも、面識があったかどうかはビミョーです。
久米さんは17年5月4日を最後に台南空行動調書から姿を消してしまいます。一方の堀さんは「17年5月台南空発令」(『日本海軍戦闘機隊』エース列伝)らしいです。
行き違いになっている可能性も・・・・。


久米さん。
どんな人だろう――。
ずっとお顔が知りたかったうちのお一人でした。


松本さんの写真(ご遺族所有・武田さんご提供)の中に、久米さんだとハッキリわかる写真がありました。

飛練・谷田部組の飛行服写真。
胸元から見えている楕円形の名札に「久」という字が見えています。

乙9期には「久」なんとかさんは「久米武男」さんだけなので、これは間違いなく久米武男さん。


この写真を見つけてから、羽藤さんの写真(ご遺族所有)の方も探してみたら、久米さん、たくさん写っていました。

童顔? かわいげな感じ?に写っている写真もありますが、集合写真で見ると、どちらかというと大柄な人です。


【東京行軍】








【鎌倉行軍】


【大楠山慰安行軍】


【操偵適性検査】


【整備実習】


【二空時代】


【一空時代】
ペンネントは佐世保海兵団。



冒頭の飛練・谷田部飛行服も一空(一等航空兵)時代です。




19年4月5日 南寧攻撃 戦死

吉田さんの手記によると、三亜空教員部隊のこの日の編制は(小隊ごと)、

中原常雄 中尉    行方不明
吉田年宏 1飛曹   ■州島に不時着
石岡浅五郎 1飛曹 行方不明
大江清水 1飛曹

堀田芳夫 少尉
小林友一 1飛曹
小滝政夫 1飛曹
岡部大助 1飛曹

堀光雄 上飛曹  ■州島に不時着
久米武男 1飛曹 行方不明
杉浦    1飛曹 ■州島に不時着
北岡富雄 1飛曹 行方不明

※■はさんずいに「囲」

吉田さん手記では久米さんは「1飛曹」になっていますが、乙9期はこの時点で「上飛曹」(18年11月1日~)。
特に何もなければ、「上飛曹」の間違いなのではないかと思います。
でも、堀小隊の2番機なんですよねえ・・・・。





「おもいで」から
「色浅黒く九州男児を彷彿とさせるものがあった」
「久米の仙人と覚えたものだが、やはり偉丈夫だった」



予科練卒業時の色紙



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