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操練時代の山崎さん2012年09月01日 12時49分44秒

操練時代の山崎さんのお姿が、吉田一平さんの手記に出てくるので今日はそれをちょっとご紹介。※以下の日付や航空隊は吉田さん手記参照。


山崎さんは操練54期(15年4月23日~16年5月26日)。

12年(6月1日)志願兵の山崎さんは、すでに三年近い海軍生活を経て操縦練習生になったことになります。

15年4月23日 第54期操縦練習生を命ぜられる 霞ヶ浦航空隊
    5月31日 筑波航空隊 初練
    7月26日 百里ヶ原航空隊 中練
    12月26日 大分航空隊 実用機

山崎さんは戦闘機班練習生の中で最先任だったようで「期長」と呼ばれています。メンバーの中のリーダー的存在ってところでしょうか。
百里ヶ原から大分への移動は陸路汽車の旅。練習生だけで移動したようなので、山崎さんが”引率責任者”だったんじゃないかと。

車中では九州に帰省する女学生さんたちと一緒になり、そりゃあもうモテモテで大変・・・・だったと吉田さんは書いていますが、
「山崎期長よりさんざん冷やかされる」
とも書いているので、女学生にもてた中には山崎さんは含まれていなかったのかも?(T_T)
エエ人やのに。
ま、”事故”がないように見張っておかないといけないので、一緒に盛り上がれなかったのでしょう。。。。

山崎さんにはこのあと”大仕事”が待っていたので、女学生の相手をしているどころではなかったとも思えます。

大仕事――操練54期戦闘機班を代表しての、大分空教員方への挨拶が待っていたのです。

大分空に入隊した日の朝、山崎さん、一同を代表して「戦闘機一家」に御挨拶。

「わたしたちは百里ヶ原空にて中練教程を修業しましてただいま戦闘機教程受教のため大分に参りました。何もわかりませんがよろしくお願いします!」

すると1分隊教員石松こと平石(勲)2空曹、

「何もわからんヤツは大分にはいらん! すぐ百里ヶ原に帰れ!」

いきなり怒鳴られちゃった山崎さん。
これ以降は吉田さんの文章で。

『山崎期長は大変温厚な、そして人情味のあるやさしい方であった。少々早とちりでそそっかしいところはあるがそれは愛嬌。期長、面喰らってそわそわして見えたが隣にいる我々が、「期長、元気で頑張りますと言ったら?」と申し上げる。すると期長、肯かれ、「元気で頑張りますから宜しくお願いします」と再び申し上げた』

なんだかどこかで見たような光景・・・・あ、大阪の有名料亭の記者会見で女将が・・・・(笑)

何度読んでもこのシーン、笑っちゃいます。
いきなり怒鳴られて面喰らった山崎さんには申し訳ないけど。

吉田さんのこの文章に、山崎さんのすべてが詰まっているような気がします。
大変温厚、人情味のあるやさしい方、でも、少々早とちりでそそっかしい(笑)
また、後輩たちが思わず手助けしてあげたくなる人柄なんですよ。そして、それを素直に受け入れてしまう山崎さん。

このシーン、好きやわ~



そして。
操練54期生は無事16年5月26日に教程を修了して一人前の搭乗員になって各地に散っていきました。

山崎さん(すでに3空曹)は横須賀航空隊へ。

吉田さんは佐世保空の出水派遣隊へ。

吉田さん、7月の終わりに移動訓練に参加しました。96戦で出水から横須賀へ。

『全機無事横空に着陸する。列線に近づくと同期の桜、期長だった山崎兵曹が飛んできてくれた。「吉田、元気か」 あの温厚でやさしすぎる山崎さんがわれわれ同期の者たちが訪問することを知り一番先に来てくれたことが一番印象に残りうれしかった』

山崎さんって、↑こういう人です。
友情に厚いというか・・・・たぶん人が好きなんだと思います。
他にも似たような話があるのでまた今度。

吉田さんの手記では、このとき横空に着任した同期生たちはすでに零戦で訓練していたとか。
ちょっぴり羨ましく感じたそうです。

最後は『山崎兵曹と固く握手してお別れした』

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