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小赤たち2012年08月19日 17時03分08秒


なんとか1週間、元気に過ごしてきました。

我が家にも慣れたようで、水草の下から出て泳いでいる時間も長くなってきました。

きんぎょたちの大きさは・・・・真ん中の濾過装置が一辺4センチぐらい。
ちょっとデカイめだか・・・・みたいな大きさです。


和金たちや丹次郎は水槽内の水草を抜きまくって、パパに叱られています(・ω・)

乙9期生の進級2012年08月19日 20時49分16秒

こんな”いまさら”な話でスイマセン、でも、ママ、知らなかったんです(ToT)

9期生が横須賀の予科練に入隊したのは13年6月1日。そこからかれらの軍隊生活が始まります。

13年6月1日  海軍四等航空兵
13年9月1日  海軍三等航空兵
14年8月1日  海軍二等航空兵
15年6月1日  海軍一等航空兵
16年10月1日 海軍三等飛行兵曹
(16年6月1日、航空科から飛行科に転科、その時点で「海軍一等飛行兵」となる)

ここまではわかっていました。

問題はここから先。

乙9期は17年11月1日に二等飛行兵曹進級と同時に、海軍の下士官兵の階級名称変更に伴って、同日付で一等飛行兵曹になった――と昨日まで思い込んでいました(^_^;)

名称変更は、戦地にいる搭乗員ならこんな感じ↓
二等飛行兵(二飛)   →  上等飛行兵(上飛)
一等飛行兵(一飛)   →  飛行兵長(飛長)
三等飛行兵曹(三飛曹)→  二等飛行兵曹(二飛曹)
二等飛行兵曹(二飛曹)→  一等飛行兵曹(一飛曹)
一等飛行兵曹(一飛曹)→  上等飛行兵曹(上飛曹)

これは階級が上がったのではなく、あくまで名称変更です。



たまに台南空関連の記事(手記に登場、あるいは集合写真のキャプションなど含む)で、乙9期の搭乗員のことを「二飛曹」と書いたものがありますが、それは間違いで、台南空時代(~17年10月)はかれらは全員三飛曹。戦死して階級が上がっていないかぎり三飛曹です。
つづく251空時代(17年11月~)は一飛曹。
つまり、乙9期は「二飛曹」を経験していないクラス―――と思い込んでいました。


昨日、知人に乙9期の方の海軍時代の履歴の写しを見せてもらいました。

そこで初めて発覚!

彼らに二飛曹時代があった!!


思い込みとは恐ろしいです。
乙9期の進級は「1日」が多かったので、三飛曹から次の階級への進級も「1日」、つまり「11月1日」とばかり思い込み・・・・。

見せていただいた履歴によると、三飛曹から次の階級への進級日は「17年10月31日」でした!
17年10月31日「任海軍二等飛行兵曹」とはっきり書いてありました。

かれらに二飛曹時代があったのです。たった一日。
翌日(11月1日)には名称変更で一飛曹になってしまったので。


この資料を見せられてから、慌てて行動調書を見直してみたところ、たしかに17年10月31日、乙9期の搭乗員が「二飛曹」と記載されている航空隊があることに気づきました、初めて・・・・(汗)

中には進級したことに気づかなかったのか、「三飛曹」のまま記載されている航空隊もありましたが、履歴に書かれているということは、正式にかれらは間違いなくこの日「二飛曹」だったと・・・・。

いや~、びっくりした。

履歴によるとこのあとは、
18年11月1日 海軍上等飛行兵曹

その方の履歴にはありませんでしたが・・・・、
20年5月1日 海軍飛行兵曹長

別の知人に、ホリブン(乙10)が飛曹長に進級したときの辞令公報の写し(呉鎮守府昭和二十年五月一日)を送っていただいたのですが、9期は10期と兵曹長進級が一緒だったので、この写しに9期の方々のお名前も出ています。
すごく少ないんですけどね・・・・。

とにかく、17年10月31日、たった一日ですが、乙9期生が「二飛曹」だったことをうかつにもいままで知らなかった、というお話でした(^_^;)