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憧れの郷土訪問飛行2012年06月22日 10時14分30秒

これも違反なんですよね。

「郷土訪問飛行」

小高登貫さんの手記に”郷土訪問飛行”したときの話が出ています(実際は兄の家)。

『私は以前から、一生に一度は、飛行機で肉親の家を訪問したいと思っていた』

らしいです。

飛行機乗りの憧れ・郷土訪問飛行

一生に一度は郷土訪問飛行

でも、小高さんの実家は長野。
そんな機会はありませんでした。

ですから小高さん、中島飛行機に零戦の受領に行き、機材のテスト飛行の最中、中島飛行機で働いていたお兄さんの家を”郷土訪問”しました。

予告なしで行ったため、家に向かって何度突っ込んでも誰も出てきてくれなかったとか。
それどころか、そのころ家の中では・・・・。
幼い甥たちが零戦52型の大爆音にびびって死にものぐるいで泣きわめいていたそう。



あの小高さんなら、禁止のはずの郷土訪問飛行をやって甥をびびらせまくった、という話を聞いてもたいして驚きませんが・・・・。



まじめなはずのわれらが西澤廣義飛曹長にも郷土訪問飛行歴があったようで・・・・。
西澤さんも長野ですが、行きたきゃどこでも飛んで行っちゃうのが西澤飛曹長(^_^)v

西澤さんは手記を残していないので、”本人談”ではありません。

これ、”伝説”ってレベルの話ではなく、証拠写真が・・・・。

武田信行氏からご提供いただいた写真です。
タイトルは「外石上空を舞う」。

外石、というのは、どうやら西澤さんの実家近くの地名のようです。

憧れのあの人が操縦している飛行機って、なかなか見れませんよ!?
この機を操縦しているのが西澤さんだと思ったら、西澤さんファンは身も心も蕩けるはず(*^^*)
西澤さんは写っていないけど、西澤さん写真ベスト5に入れてよい写真!!


武田さん、電子書籍に西澤さんのことを書かれています(『蒼穹の彼方で』)。
そこにこの写真のことが書いてありました。西澤さんのご実家にあった写真だそうです。
この写真、偶然撮られたものではありません。

西澤さんが郷土訪問したところを、待ち構えていた新聞記者が撮ったものだそうです(ご遺族談)。

さらに電子書籍には、それをリアルタイムで見た人の目撃談もありまして (^_^;)
当時小学生だったその人が、
「待ちすぎて首が痛くなった」
ということを強調されている”目撃談”でした(笑)

要するに、西澤さん郷土訪問飛行は事前に多くの人が知っており、小学校では先生が、
「校庭に出て待つように」
と全校生徒に強制し、あげく、多くの小学生たちを散々待たせた西澤さんがやっと現れたときには、彼らには、
「首が痛い・・・・」
という思い出しか残らなかった・・・・と。




冗談はさておいて 。

武田さんは、西澤さんの”郷土訪問飛行”は、飛曹長に任官したあとの19年初め頃の厚木時代ではと想像されているようです。

西澤さんが零戦で郷土訪問できる機会といったら・・・・

17年11月~18年4月 251空 豊橋錬成時代
18年11月~19年2月? 大分空教官時代 機材空輸時
19年3月4月頃?  厚木 戦闘303時代
19年9月ごろ     茂原   

まあ、ここらへんでしょうか。

いずれにしても、「ちょっくら行ってくる」って距離じゃないような・・・・(^◇^;)

だから事前に”告知”してあったのでしょう。
違反をしてまで行って誰も気づいてくれなかったら悲惨だし(ToT)
目的は「故郷に錦を飾る」ことでしょうし。「オレ様の勇姿を見てくれ」でしょうし。
しかもそれが”家族”に対してではなく”ムラ”に対してってところが西澤さんぽくていいっ!

西澤廣義飛曹長



それにしても。
違反行為にもかかわらず新聞記者を呼びつけたり、小学校全校生徒を空を見上げさせたまま校庭で待たせるとか(^◇^;)
そのあげく遅れて飛んでくるところがさすがオレ様西澤さん!!


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