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羽藤さんのお友だち22012年06月14日 07時59分30秒

羽藤さんがアルバムに貼っていた中で、自分以外の個人写真が4人分あった、ということは以前に書きました。

一人は班の教員(下士官)。
『予科練の空』に出てくる”服部教班長”ではないかとも思えるのですが、アルバムからはお名前はわかりません。


さらに。
一人は羽藤さんと同班員で、操縦専修生(戦闘機か艦攻)。

一人はやはり同班員で、操縦専修生(中攻か戦闘機か艦爆)。

この二人も氏名不詳。


羽藤さんがアルバムに貼っていた個人写真の方、もう一人います。

この写真の人です。

実は、4人の中でこの写真の方が唯一お名前が判明していました。

”遠藤”さんです。

この白い服は病衣でしょうか?
よく見ると、胸に小さな名札をつけているのです。
拡大して見たところ、どうやら”遠藤”と書いてあるようでした。

ただ、どこの”遠藤”さんか、それがわからずにいました。

一番可能性があるのは同期生。
乙9期には”遠藤”さんが2人います。

一人は遠藤桝秋さん。台南空、251空で活躍した戦闘機搭乗員です。

もう一人。
20年8月15日。
宇垣長官が沖縄攻撃に向かうときに乗り込んだ中津留大尉機(彗星)の偵察員の遠藤秋章飛曹長。
宇垣長官に「交代」と言われたにもかかわらず頑として受け入れず、狭い偵察席、宇垣さんの股の間に入り込んで沖縄に向かったと伝えられています。

乙9期生、最後の戦死者―。

お名前をご存じの方は多いと思います。
が、いくら探してもお顔がわかる写真がない。

心当たりの知人にも問い合わせてみたのですが、
「どっかで見たような・・・・? でも、記憶があやしい」
と。

羽藤さんがアルバムに貼っていた”遠藤”さんが、遠藤秋章さんかどうか、ずっと確かめられずにいました。

先月末、先に問い合わせていた知人の方から、
「遠藤秋章さんの写真を見た」
という情報が送られてきました。

その知人が見たというところに直接問い合わせ、ようやく、昨日、それを自分で確認することができました。
羽藤さんがアルバムに貼っていたのは、「遠藤秋章さん」で間違いないと思います。


遠藤秋章さんは、羽藤さんと同郷、愛媛県人です。
遠く離れた地で家族と離れて暮らすことになった予科練生にとって、同郷人というのは特別心を許せる存在だったのではないかと思います。

予科練入隊直後は、その生活のあまりの厳しさに、
『松山の遠藤君も松山へやめて帰りたい、五年すむともうやめるとか云ってゐた』

松本勝正さん(愛媛県人)が実家に送った手紙にそう書かれています。



このときから7年ちょっと・・・・。

四空兵で予科練に入り弱音を吐いていた遠藤さんも、飛曹長(准士官)になり、家庭を持つまでになっていました。

20年8月15日 1500 大分基地から80番爆装の彗星艦爆で沖縄に出撃、戦死。


※写真の確認に際しては、陸上自衛隊武器学校、雄飛会の方のお世話になりました。
遠藤秋章さんに関してはこちらにも書いています

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