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乙9期 大西要四三さん2012年05月23日 19時25分49秒

※大西さんのことを調べている方がいらしたら、連絡をいただけるとうれしいです。
hinemos.mama@gmail.com



滋賀県出身の大西要四三さん。


【予科練時代】
東京行軍集合写真    ※羽藤さん

ラグビー観戦

鹿島神宮参拝写真

整備実習集合写真

陸上機操縦専修生集合写真

陸上機操縦専修生集合写真

【飛練時代】

※ここまで松本さん所有写真・武田信行氏提供



大西さんといえば、あの有名な台南空下士官搭乗員の集合写真。
最前列の左端です。           ※武田信行氏提供

この写真、西澤さん直筆の裏書きがあります。
写っている人たちの氏名と、
『小林、宮、大西はラエのスコールに惜しき最期を遂ぐ』

小林克己1飛曹(甲3)

宮運一2飛曹(甲4)

大西要四三3飛曹(乙9)


17年7月20日 モレスビー攻撃の中攻隊掩護。

0630 戦闘機14機がラバウルより発進、1機引返す 陸攻隊と合同
0800 戦闘機6機がラエ発進
モレスビー攻撃
1115 戦闘機11機がラエ帰着
1215 戦闘機8機がラバウル帰着

山下丈二大尉
吉田元綱1飛曹
山崎市郎平2飛曹


林谷忠中尉
羽藤一志3飛曹


西澤廣義1飛曹
熊谷賢一3飛曹
吉村啓作1飛

栗原克美中尉
宮運一2飛曹
二宮喜八1飛


山下佐平飛曹長  引返す
小林克己1飛曹
大西要四三3飛曹


笹井醇一中尉
太田敏夫1飛曹
遠藤桝秋3飛曹


坂井三郎1飛曹
米川正吉2飛曹
佐藤昇3飛曹



行動調書をまとめると、↑こういうことです。


誰がラバウル発進組(14機)で、ラエ発進組(6機)、また、ラバウル帰着組(11機)、ラエ帰着組(8機)なのかわかりません。

が、小隊あるいは中隊単位で行動しているのは確実とみて、可能性の高い組を考えてみました。

たぶん、行動調書の上の欄に書かれている14名がラバウル発進組、下の6名がラエ発進組だろうな、と。

↓クリックしたら拡大します。わたしの想像ですので転載・引用しないでね。

では、帰りはどうなったかというと。これも想像ですが。


ラバウル発進組の栗原中隊(栗原中尉、宮2飛曹、二宮1飛、小林1飛曹、大西3飛曹)が、何らかのトラブルでラバウルに帰らず、ラエに着陸したものと思われます。
人数のつじつまを合わせようとすると、こう考えるのが一番自然かな。

行動調書に書かれているのは、ここまで。
11機がラエに戻って来た、8機がラバウルに戻って来た、被害無しと。


ここからまたしても想像ですが。

トラブルが解決した栗原中隊5機は、ラバウルに帰るべくラエを発進。

その後、西澤さんが写真に裏書きされているような事態が起こったのではないかと想像しています。


・・・・という話を知人数名にしたところ、某戦史人物経歴研究家さんが、『67期海軍史』の栗原中尉の項に、
『7月20日、陸攻25機を掩護し戦闘機18機を率いてモレスビー攻撃に参加
帰路ラエに帰着後、戦闘機5機を率いラバウルに向かったが悪天候のため指揮官機以下4機消息を絶つ』
と書かれてあるよ、とご教示くださいました。


無事だったのは二宮喜八1飛おひとり。



乙9期戦没者はこちら

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