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台南空の乙9期生2012年05月09日 09時26分47秒

「台南空」といっても、ここで取り上げているのは17年4月以降の”ラバウル台南空”のことです。
このことに取りかかり始めたきっかけが、西澤さん所有の写真を武田信行さんに見せていただいたことだったからです。
というわけで、西澤さんが台南空搭乗員になって以降、つまり17年4月以降のみ取り上げています。

台南空の行動調書に名前が出てくる乙9期生は以下の通り(五十音順、階級は台南空時代)。
添付写真、左は予科練・飛練時代(松本さん写真から)。
右は台南空時代(西澤さん写真から)。             ※どちらも武田信行氏提供


新井正美3飛曹
兵庫県出身。千歳空、4空、台南空、17年8月14日戦死。
色紙「空を仰ぐ三週星 今や巣立つ九期生  播州阿良

『日本海軍戦闘機隊』【戦歴と航空隊史話】によると、新井さんは台南空17年8月4日集合写真で、堀さんの右に立っている人だそうです。画像が鮮明ではなく、特に最後列はお顔がよくわからないんですよね(^_^;)

乙9集合写真の中で一番似ている人を上に出したのですが、この人の整備服や飛行服バージョンの名札はちょっと解読不可能です。
ただし、海兵団バージョンでは「呉海兵団」なので、新井正美さんで矛盾なし。

数年前、予科練記念館(雄翔館)を訪問したとき、新井さんが自分の乗機と一緒に写っている写真が飾られているのを見たような記憶がありますが(吉田一さん撮影?)、残念ながら集合写真と照合できるほどお顔を覚えていません・・・・。



井原大三3飛曹
神奈川県出身。艦爆→戦闘機。千歳空。5月末に台南空行動調書にお名前あり。→2空、17年8月26日戦死(ブナ)。
色紙「忠精赫々海鷲■(助?)天  濱の住人大三」

角田和男さんの『修羅の翼』に井原さんの下士官二種軍装の写真が出ています。はっきりとお顔がわかる状態で。
でも、現時点で、乙9期の集合写真の中に同じ人を見つけられていません。いるはずですが。



上原定夫3飛曹
広島県出身。台南空、・・・・201空戦闘305、・・・・戦後生存。
色紙「誠  安藝上原」



遠藤桝秋3飛曹
福島県出身。艦爆→戦闘機。台南空、251空。18年6月7日戦死(ルッセル島)。
愛称「マメロク」(台南空時代)。
色紙「われ今日を待てり  遠藤桝秋」



大西要四三3飛曹
滋賀県出身。艦爆→戦闘機。台南空。17年7月20日、悪天候のため行方不明(ラエ)?※
色紙「成層圏ニ家ヲ持ツ  大西大艇」
                           ※この件に関してはあらためてちゃんと書くつもり


木村裕3飛曹
千葉県出身。千歳空、4空、台南空。17年8月8日戦死(ツラギ)。
色紙「大空ヘノ第一歩  木村」



熊谷賢一3飛曹
青森県出身。千歳空、4空、台南空。17年8月26日戦死(ガダルカナル)。
色紙「吾在大和魂  東奥健(児)」

飛練時代の一種軍装写真もあるのですが、台南空写真と一番雰囲気が似ているのはこれかなと思い谷田部飛行服写真を出してみました。

この人の整備服の名札、「熊谷」と書いてあるように見えなくもありません。たぶん、この人が熊谷さんだろうと。



久米武男3飛曹
佐賀県出身。台南空・・・・三亜空。19年4月5日戦死(南寧攻撃)。
色紙「葉隠  肥前久米」

行動調書にお名前が出てくるのが17年5月4日までで、その後、どうされたのかまったく不明です。怪我や病気で離脱したのか、転勤されたのか・・・・。
たぶん、8月4日集合写真には写っていないだろうと。



後藤龍助3飛曹
神奈川県出身。千歳空、4空、台南空。17年10月25日戦死(ガダルカナル)。
色紙「七生報国  後藤」

陸上機操縦専修写真にも8月4日集合写真にも写っているはずですが、どの方かわかりません。



佐藤昇3飛曹
山形県出身。3空、台南空。17年9月13日戦死(ガダルカナル)。
色紙「和魂世鑑  佐藤昇」

佐藤さんも、陸上機操縦専修写真、8月4日集合写真ともに写っているはず。
予科練時代の集合写真の方は「これかな?」というのを見つけてあるのですが、同じ人が8月4日集合写真に写っていないので、確定できずにいます。

後日、佐藤昇さん、この人だと断定しました(2012年11月18日加筆)。
従来、8月4日集合写真で「国分武一3飛曹」と言われてきた人。
たぶん、佐藤昇3飛曹です。


鈴木松己3飛曹

三重県出身。千歳空、4空、台南空。17年7月11日戦死(モレスビー)。
色紙「海鷲  伊勢松己」

戦死時期からして8月4日集合写真には写っていません。
予科練時代の写真からも、まったく情報がないため見つけられていません。



中野鈔3飛曹
愛知県出身。艦爆→戦闘機。台南空。17年8月26日戦死(ブナ)。
色紙「撫天  三河国中野」

※中野さんのお名前、「金へんに小」と書かれているものもあります。本人自筆で確認できていないので、ここでは行動調書に書かれている「鈔」を使っています。



羽藤一志3飛曹
愛媛県出身。千歳空、(4空)、台南空。17年9月13日戦死(ガダルカナル)。
愛称「ポッポ」(台南空時代)

羽藤さんは色紙に自分の名前を署名していません。
「九鷲飛立二千六百年  豫州男児」と、「制空  伊豫健児」のふたつが明らかに愛媛出身操縦専修生。
愛媛出身操縦専修生では、松本勝正さん(戦闘機)、安達繁信さん(戦闘機)のお名前はちゃんとあります。
色紙にお名前が見当たらないのは、羽藤さん、石川茂さん(中攻)、和田邦介さん(中攻)。
三人のうちお二人が「豫州男児」と「伊豫健児」なのでしょう。
いろいろ比較検討して考えてみたのですが、羽藤さんは「豫州男児」でも「伊豫健児」でもないかも?です。
署名のないうちのひとつかな?



茂木義男3飛曹
山形県出身。3空、台南空、201空。18年10月18日戦死(ブイン)。
色紙「大和魂  羽前茂木」

茂木さんも陸上機操縦専修集合写真、8月4日集合写真ともに写っている可能性大です、が、どの方かわかりません。



森浦東洋男3飛曹
熊本県出身。中攻→戦闘機。1空、台南空。17年10月25日戦死(ガダルカナル)。
「無法松の東洋男」(予科練時代)。
色紙「空の王者!!  森浦」

写真は『日本海軍戦闘機隊 エース列伝』大日本絵画の森浦さんの項参照。
ただ、手持ちの乙9集合写真から、この人と同一人物だろうという方は見つけられていません。森浦さんは中攻操縦集合写真にも写っているはずなのですが・・・・。

※ここで使用した8月4日写真の”森浦東洋男3飛曹”は、おそらく山崎市郎平2飛曹(操54期)です(2012年11月18日加筆)。


山口浜茂3飛曹

千葉県出身。中攻→戦闘機。1空、台南空、201空・・・・戦闘303。20年5月11日戦死(沖縄)。
色紙「見敵必墜  山口」

山口さんは17年8月4日集合写真が撮られた頃はまだ1空所属なので、あれには写っていません(台南空行動調書初登場は17年9月5日)。
行動調書にお名前が出てくる最後が9月21日。その後どうされたのか不明・・・・。
台南空の最後まで在籍していたとしたら11月集合写真に写っている可能性もあるのですが、あの写真でお顔が確認できる乙9期は、いまのところ遠藤さんと上原さんだけです。

中攻からの転科なので、中攻専修生の集合写真の中にもいるはずです。
ですが、そもそものお顔がわからないので、探せないでいます。

※2012年11月18日画像追加。 右は台南空(251空)11月集合写真から



山口さんは20年5月11日、飛曹長で沖縄戦で戦死。西澤さんがいた戦闘303です。
先日、安部さんに山口浜茂さんのことも尋ねてみたのですが、”後から来られた人”とかで、残念ながら印象に残っていないようでした。



乙9期は戦死率8割以上。
空への憧れを抱き巣立った若者たちも、戦場で次々と命を散らしていきました。

台南空の16名中、終戦まで生き残ったのは上原定夫さんお一人です。

金魚の死2012年05月09日 12時36分13秒

いままではあまり気にならなかったのですが、やはり自分ちで飼いだすと気になります。

ここで生活していると、「金魚の死」というのはそうものめずらしいことでもありません。

たとえば。
あぜ道(というか金魚池の間の細道)を歩いていると、けっこうふつうに金魚の死骸を見ます。
池から溢れちゃったのか、鳥が運んだのか。道に落ちています。
もちろん金魚池の隅っこには金魚の死骸がぷかぷか。

先日、イ○ンモールからてくてく歩いて帰宅していたら、歩道に何かオレンジの平べったいモノが落ちていました。
「落とし物かな?」
と顔を近づけてみたら、死んで干からびた金魚でした。

春海が金魚すくいに行くお店も、金魚の死骸、あります。
金魚の入ったたらいにはいないと思いますが、その脇の排水溝みたいなところ(鉄の網の蓋がしてある)には死んだ金魚が無造作に捨てられていたり。
                   ※「無造作」というのは、あくまでこちらの受けた印象です

自分ちで飼いだしたら、やっぱ見たくないですよ(^_^;)

GWにパパと春海が二人で金魚を扱っているお店に行ったのですが、そこの水槽では共食いの結果、すでに骨になった金魚がぷかぷかしとったそうです(゜Д゜;)生き残った2匹でつついたらしい。

ママもここのところ、数カ所の金魚屋さんを見て回りましたが、どこでもいます、少なからず。
しかたがないのかな?
飼っている身としては、なるべく見たくない金魚の死骸。

うちがきんぎょちゃんたちを買ったお店では、いままで一度も金魚の死骸を見せられたことはありません。
パパも、
「こうやっていろいろ見て回ると、あそこは金魚を大事にしている感じが伝わってくるなー」
としみじみと言っていました。

大きくはないですよ。
こじんまりした店舗ですが、水槽はきれいだし、ひとつの水槽にドバッと入っているようなことはありません。

やはりそういう、金魚を大事にしているお店から連れてきた金魚は、こちらも「死なせてなるものか」と頑張ります。
アカちゃんとシロちゃんは不憫なことをしました。あっちにいた方が幸せだったろうな、と思うといまでも申し訳ない気持ちでいっぱいです。大事に育てていた金魚屋さんにも申し訳なかったです。

そういえば。
お祭りのとき、春海のお友だちのYちゃんがすくった金魚4匹のその後。
1週間後に、
「2匹死んで、2匹元気」
と春海のところに報告が来ました。
それから1週間ぐらいして、お母さんに会ったので、
「金魚どうですか?」
と聞いたら、
「全滅した」
とのことでした。

この春は、「死」ということに関して、いろいろと考えることが多かったです。金魚だけではなく。


あ、うちのきんぎょちゃんたちは今日も元気です。

キューブは頻繁にくぐっています(^o^)

土管と鳥居の人気はいまいちです(-_-;)

パパが泣いて喜ぶ動画が撮れた(^o^)2012年05月09日 14時36分34秒

パパが泣いて喜ぶ動画が撮れました!!


かわいすぎて、みんなきんぎょ飼いたくなるよ!

0:47あたりにも注目!( ^o^)ノ