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西澤廣義飛曹長の遺品2011年12月23日 10時38分31秒

ホリブンの場合は、直接ご本人をご存じの搭乗員さんが周辺にいるので、何かの拍子に、
「そういえば、堀さんが・・・・」
と思い出して、話をしてくださることがあります。

数ヶ月前、Iさんに紹介してもらった元同僚の方から、思いもかけず”生写真”をいただいたことも!

しかし、西澤さんに関しては、わたしの周辺に、つながりのあった方が皆無なので、今後、自分の身の上に何かが起こる可能性は極めて低いと思っていました。

ところが、あるもんなんですねえ・・・・。

西澤さんとは縁もゆかりもないような愛媛で、西澤さんの遺品と対面してきました。

ただ、見てきた・・・・のではなく、
「持っていいよ」
と言われたので、手に取らせていただきました。

これです↓

動揺のあまり、ブログへの掲載許可をいただいてくるのを忘れたので、「西澤さんの遺品を手にして震えているママの手」という画像でご勘弁ください。

バックが深紅なのは、軍艦旗の前に立って、写真を撮ってもらったからです。

で、遺品は何かというと、西澤さんが台南空時代にマラリアで入院したとき、准士官以上(大木1飛曹含む)から贈られた、愛溢れる寄せ書きです。
おそらく絹だと思われる大きな日の丸を中心に、隊の幹部の方々から「西澤、早く元気になれよ」という意味の(?)贈る言葉が・・・・

以前、雑誌に掲載されたのを、このブログで紹介したことがあります。
再読していただければ、ママの手画像に偶然(?)写り込んでいる”○○中尉”がどなたの字か、おわかりいただけると思います。

まあ、ですから、本邦初公開、というわけではありません。
ですが、「写真で見た」という話ではなく、「そのもの」です。
台南空の士官の方たちが、西澤さんが早く元気になるようにと心を込めて書いた筆蹟・・・・また、それを転勤後も大事に持ち歩いていたであろう西澤さん・・・・
その人たちの気持ち「そのもの」なのです。

感激して涙が出・・・・るかと思いきや、汗が滝のように噴き出して大変でした。
頭クラクラ、膝ガクガクでした。

長い年月が経っているため、折りたたまれていた部分に少し亀裂が入っていました。持ったときに、
「(ちゃんと見えるように)引っ張っていいよ」
と言われたのですが、引っ張ったらパパのハンカチのように破けそうで、とてもとても・・・・。

※参考画像・・・・引っ張ったら↓こんな風になってしまいそうだった
こっちは素手。
でも、”西澤さんの遺品情報”は愛媛に行く前からいただいていたので、ちゃんと白手袋を用意していきました。
とても素手で触れるようなものではございません。


今回は息がかかるぐらいの距離で観察させていただいたので、雑誌ではわからなかったこともわかりました。

「■原晴■」・・・・としかお名前が判読できない方がいたのですが、「北原晴光」さんでした。搭乗員ではなさそうですが。

あと、「誠」ということばを寄せられている「康■」さん。
自称漢字博士のママ(春海からは「(笑)」って評価)ですが、読めない難しい字で書かれてあります。
持ち主の方は「ヤスオ」と読むのではないかと言われていました。



さらに、もう一つ。


これは、『ジュンちゃんへ…戦争に行った兄さんより』という松本勝正上飛曹(乙9)の書簡集にも掲載されている戦闘303の北千島時代の集合写真。

ちなみに西澤さんが中列左端。松本さんが中列右端。
真ん中の分隊長(?)はおいておいて、なぜか西澤さんと松本さんの貫禄が突出している集合写真です。
ご本尊の両脇に金剛力士像みたいな?             ※あくまで個人のイメージです

これ、
「ママさんの研究材料に」
といただいたのですが。
えーっと、ママは研究というより、ただ眺めてぽーっとしているだけなのでーーーー(^_^;)

「ここに写っている搭乗員たちの追跡調査」
も依頼されたのですが、ママに調査能力がないことは自分が一番わかっているので、たまたま目の前にいた(?)この方面の研究の大家の方に、
「・・・・ということなので、お願いします!( ^o^)ノ」
と、お忙しいのは承知の上で押しつけ・・・・いえ、依頼し直しておきました。

みなさんも、ママが中途半端なことをするより、
「この人が調べたのなら納得」
って方に調べてもらった方がいいでしょ?
そういう意味では、この人に”依頼し直した”ママ、殊勲甲です(^_^)v

ホンマ、お忙しいのにスミマセン、でも、ホンマにホンマ、この方たちのこと、よろしくお願いしますm(_ _)m


選手クリスマス会2011年12月23日 19時22分08秒

今日は選手のクリスマス会でした。
どうせ呼ぶのなら、1時間でも練習してくれればいいのに練習は休み。

春海にデジカメ持たせておきました。
きっとふだんコワイコーチがサンタとかトナカイのコスプレすると思ったので。

春海が撮って来たのはこれ↓1枚でした。

まあ、撮らん方がいいでしょう(^◇^;)

プレゼント交換したそうです(予算500円)。


ミニタオルとソープのセット。

このセンスから察するに、たぶん、お姉さん選手の誰かが、お姉さん選手がもらってくれることを想定して持ってきたモノでしょう。
ママだったら大喜びですが、春海はイマイチだったようで。
※生きたひよこが欲しい意味不明な子なので。


ビンゴゲーム大会もあったそうです。

春海がもらったのは、なんかわけのわからないフェイクファーシュシュ?
しかも値札付(笑)

一番すごいのは人生ゲームをもらったらしいですよ(イト○ン招待レベルの子)
他にもバドミントンセットをもらった子もいたらしい(同じくイト○ン招待レベルの子)

ビンゴゲームなんて、水泳の実力関係なしの”運オンリー”なゲームだと思うのですが、イト○ンはなぜかこんなゲームですらこれでもかの実力主義。
春海みたいななんちゃって選手には、人生ゲームとかバドミントンセットはまわってきません(ToT)


ふてくされてイ○ンモールをぶらぶらしていたら、仲良しのYちゃんに偶然ばったり出会いました。

なぜか偶然会っただけでプリクラを撮りに行く2人。


春海のデコ(笑)

少年の肖像2011年12月23日 20時41分24秒

先日ちょこっと触れたある少年の肖像。       ※実際はもう少年という年ではないですよ

ママが描いたってことを念頭にご覧下さい。


トレースしても似ていない(涙)
たぶん、これも似てないと思いますが。こんな雰囲気の写真でした、ってことで。

かれは予科練時代から「温和な優男」(by同期生)だったらしく、戦闘機に進んだことですら同期生たちから意外の目で見られていたそう。

写真は、たしかに色白の優男に見えます。
ふつうに”美少年”じゃないかと。

第一印象は、「子ども」。

見た瞬間、『戦国自衛隊』で竜雷太演じる陸自隊員が、薬師丸ひろ子演じる少年武将に槍で突かれて、
「まだ・・・・子どもじゃないか・・・・」
とうめいてバタッと倒れた、あのシーンを思い出しました。

この子が零戦を操縦するのか?

そんな感じ。



でも、内は気が強そうな感じもします。

ま、「気の弱い戦闘機搭乗員」なんて聞いたことないですから。


この写真・・・・
見ていたら、なんだかとっても切なくなってきます・・・・

実際の写真はママのトレースとは大分違っていて・・・・、じーっとこっちを見ているんです。写真を見ると目が合うっていうんですか?

二十歳で亡くなったんだなあ・・・・と思いながら見ると、本当に胸が締め付けられそうになります。

夫や恋人に対して抱く想い・・・・ではなくて、弟や息子に対して抱く想いというか・・・・
そんな切なさを感じさせる一枚でした。