Google
WWWを検索 ひねもすを検索

ホリブンの不時着歴2011年07月26日 15時40分16秒

ホリブンの撃墜歴や被弾歴に関して、中途半端ながらもずいぶん前にまとめました。

他にまとめておくべきことはないかなー? と考えてみたところ、
「そうだ! 不時着歴をまとめてみよう!」
と思いついたので、まとめてみることにしました。

ホリブンから思い切りいやがられそうですが(-_-;)


確認できる最初の不時着は19年4月5日の南寧攻撃(三亜空教員)。
一緒に攻撃に参加していた堀光雄上飛曹の同僚の吉田年宏さんの手記によると・・・・。
空戦後、帰ろうとしていたときに前方に零戦一機発見。
近づいてみると堀さん。
エンジンを指さして指を左右に振っている。
なるほど、見ていると堀機のエンジンはときどき息をついて黒い煙まで吐き出している。
これでは三亜までは帰れないと思い、堀さんに不時着を勧める。
吉田さんも燃料があやしかったので一緒に不時着(他2名とも合流し4機で不時着)。

『日本海軍戦闘機隊』のエース列伝ホリブンの項にはこのとき不時着したのは「海南島」と書かれているのですが、一緒にいた吉田さんの手記によると、雷州半島の西に浮かぶ何とかって島です。
「何とかって何だよっ!?(--#)」
ですよねー。
位置の確認はしましたが、”読み方がわからない”&”漢字が出ない”ので。
吉田さんによると『”さんずいに「囲」”州島』って島らしいです。

海南島周辺


※飛行ルート
4月5日 三亜→海口→南寧→■州島
4月6日 ■州島→海口→三亜


それから。
343空時代。
20年4月21日(第一国分)。
林大尉が戦死したあのB29邀撃戦です。
あの日、堀上飛曹も出撃したもののエンジン不調で出水基地に不時着。
かの有名な(?)「階級詐称事件(しかも3階級特進!?)」の翌日です。
この不時着の一件もみんなから「天罰」と陰口を叩かれるほど、”堀中尉”、もてたそうです(本人手記)。


20年5月28日(大村)。
「敵小型機奄美大島上空北進中」の情報で、待機していた戦闘301の8機(松村正二大尉指揮)が発進。
ホリブンは第2区隊長。
離陸直後に松村大尉がエンジン不調で引き返し。本来代わって指揮を執るべきホリブンまでが天草上空でエンジン不調のため引き返し。

このときのことはホリブンは手記には書いていませんが、『源田の剣』によると、どうやら大村まで帰れず、不時着水した模様(ソースは不明)。
”不時着水”というからには海でしょう。
無事だったところをみると、すぐに救助されたようで。

この日はどうも、本来の当直担当ではなかったようなんですよねえ・・・・。
前日が海軍記念日だったため隊内で宴会をやったらしい。飲み過ぎた菅野隊長に代わって松村中隊が当直になった・・・・みたいなニュアンスで書いてあります。
ホリブンは飲まんので、きっと朝から他の二日酔い隊員たちの中にあってひときわ爽やかなオーラを振りまきながら飛行場に出てしまったのでしょう。
「おっ! 堀分隊士、調子よさそうだな( ^o^)ノ 待機、頼んだぞ」→エンジン不調で不時着水

もしかしたら前夜宴会がなければ他の誰かがそれに乗って大事になった可能性もあるわけで。そういう意味で、この場合、「ベテランのホリブンでよかった」ということにしておきましょう。

堀光雄飛曹長


他にもエンジン不調で基地に引き返したのでは?ってがあります、
4月16日(鹿屋→喜界島) 
5月4日(大村→喜界島)※

※ホリブン手記によると「六月のある日」「エンジン不調」で「単機大村に引き返した」、このとき堀区隊の3番機・桐山上飛曹が戦死したとある。桐山上飛曹の記録上の戦死日は「5月4日」。


簡単に「エンジン不調で引き返し」とか「不時着」とか書いていますが、たぶん、ご本人にお話を聞けるとしたら、どれもぎりぎりの状態で帰ってきているのだと思います。
ちょっとでも対処を間違っていたら・・・・と思うとオソロシイ・・・・