松山 二日目 ― 2011年05月24日 09時11分50秒
藤本さんからうかがった貴重な体験談は、あとでゆっくり・・・・ということにして、先に日記的なことを書いてしまいます。
本当は21日のお宅訪問だけの予定だったのですが、ちょーサプライズ!! 翌22日まで、藤本さんがおつきあいくださることに!!
しかも、愛車で”希望の場所”に連れて行ってくださるとか!
「デートですか!? じゃあ、動物園とかー♪、砥部焼とかー♪」
・・・・にはならないわけで(^_^;)
「松山空港周辺の基地の痕跡が見たいなあ・・・・(*^_^*)」
21日の夜のうちに帰投した四国組2人を除く3名が、お言葉に甘えて22日も案内していただくことになりました。
本当は21日のお宅訪問だけの予定だったのですが、ちょーサプライズ!! 翌22日まで、藤本さんがおつきあいくださることに!!
しかも、愛車で”希望の場所”に連れて行ってくださるとか!
「デートですか!? じゃあ、動物園とかー♪、砥部焼とかー♪」
・・・・にはならないわけで(^_^;)
「松山空港周辺の基地の痕跡が見たいなあ・・・・(*^_^*)」
21日の夜のうちに帰投した四国組2人を除く3名が、お言葉に甘えて22日も案内していただくことになりました。
松山駅で朝10時に待ち合わせ。
「海軍さんは五分前だから(藤本さんは55分には来られるだろう)、自分たちの待ち合わせは9時50分」
ということにしていました。
「なら、ママは45分に行って待ってよー(^o^)」
そう思って早めにホテルを出た直後、9時40分でした。藤本さんから携帯に電話。
「駅に着いたよー(^o^)」
「わかりました! すぐ行きます!!」
五分前違うやんかーーー!!!
そっから駅まで走っていきましたーーー(>_<)
現在の藤本さんの操縦席↓
「海軍さんは五分前だから(藤本さんは55分には来られるだろう)、自分たちの待ち合わせは9時50分」
ということにしていました。
「なら、ママは45分に行って待ってよー(^o^)」
そう思って早めにホテルを出た直後、9時40分でした。藤本さんから携帯に電話。
「駅に着いたよー(^o^)」
「わかりました! すぐ行きます!!」
五分前違うやんかーーー!!!
そっから駅まで走っていきましたーーー(>_<)
現在の藤本さんの操縦席↓
フロントガラスにつけてあるお守りの左側のは、ママが前日プレゼントした交通安全お守りです。
先日、瑞鶴の慰霊碑のある橿原神宮にお参りしたとき、藤本さんがまだ運転されていると聞いていたので求めたものです。
さっそく車につけてくださっていました(^o^)
松山基地時代の思い出を聞きながら掩体壕へ。
2つ見ました。もう一カ所の掩体壕は入り口が扉でふさがれていて、中の様子がわからなかったのですが、こちらは開口していて、内部の様子もよくわかりました。
↑飛行機の形に抜いてあります。
開いているから出入り自由なわけで、そのため、内部はちょっと荒れていました。
土砂が堆積しているんですね、これ。そこにゴミが捨ててあったり、壁面に落書きしてあったり・・・・。
きちんと保存してくれたらいいのになあ・・・・。
説明板も立てて。
すでに掩体壕の道路側は、道路建設時にやられたのか、削られていました。
飛行機を掩体壕に運ぶのは整備員や女学生が人力でやっていたそうです。
ときには、搭乗員を操縦席に乗せたまま、おもしろがってそのまま押していくこともあったらしいです。
空路のお二人の飛行機の時間までまだまだあったので、近くの喫茶店に入りました。
そこでまたたくさんお話聞けました。
お話聞いているだけで至福ですーーー(^。^)
「戦後、坂井さんに講演会に来てもらったことがあってねー」
↑藤本さんは、大村での戦闘機訓練時の教官が坂井さんだったので、師弟関係なのです。
そんなお話とか・・・・。
その後、松山海軍航空隊跡の石碑に。
ここは予科練の隊門があった場所だそうです。
松山基地は予科練と航空隊が同居していて、航空隊の方は別の場所に入り口があったそうです。
なので、343空の人たちはここは使っていなかった、ということですね。
このあと、空路のお二人を空港で下ろして・・・・
高速バスの出発時間が3時だったママは、まだ藤本さんとデート♪
「そろそろお昼じゃね。高島屋の中に、おいしーーーーーい寿司屋さんがあるから、そこに行こうか(^o^)」
「す、寿司ですかっ!?(゜Д゜;)」
じ、実は・・・・(略)・・・・というわけで、ファミレスにしていただきました(^_^;)
ママはファミレスでは挽肉のカレー。
藤本さんは和系の定食をご注文・・・・のあと、唐突にぱらぱらとメニューをめくり、
「あと、食後にこれ2つね」
とイチゴパフェを!!
高速バスの出発時間が3時だったママは、まだ藤本さんとデート♪
「そろそろお昼じゃね。高島屋の中に、おいしーーーーーい寿司屋さんがあるから、そこに行こうか(^o^)」
「す、寿司ですかっ!?(゜Д゜;)」
じ、実は・・・・(略)・・・・というわけで、ファミレスにしていただきました(^_^;)
ママはファミレスでは挽肉のカレー。
藤本さんは和系の定食をご注文・・・・のあと、唐突にぱらぱらとメニューをめくり、
「あと、食後にこれ2つね」
とイチゴパフェを!!
藤本さんとイチゴパフェ食べてきましたーーーー(^O^)
本当にデートみたいだーーーー♪
でも、話している内容は海軍航空隊、搭乗員仲間のお話です。
昼食後、バスに乗る大街道まで送っていただきました。
その車中も海軍話。
20年2月25日に、千葉県上空の空戦で被弾、落下傘降下したらしいのですが、そのときの様子を詳細に聞くことができました。
まず右の外翼を撃たれて火が出た・・・・と。でも、それはすぐに消えたらしいです。
続けて右の内翼を撃たれ、出火。そのときはかなり衝撃があったそうです。そこから火が出るとすぐにエンジンの方に火が回る・・・・というのをいままで見てきたので、脱出の用意。
風防がゆがんでいたのか、開きにくく、やっとこじ開けて伸び上がり、肩ぐらいまで出たときに前方から火がブワッとなめるように来て、一瞬意識不明に・・・・。
気がついたのは、落下傘が開いたショックで。
自分も一緒にそこにいるような臨場感でした・・・・。
あと、飛行機に積んでいる不時着用の缶(?)の中身の話とか。
そんな話をしている間に、大街道に到着してしまいました。
「じゃあ、次は○○で!」
と、再会を約束してお別れしました(^_^)/~
二日間もおつきあいくださり、貴重なお話や資料の数々、本当にありがとうございました。
たまには春海の話 ― 2011年05月24日 10時53分24秒
春海ちゃん、4年生になったので、学校でクラブ活動が始まりました。
春海は”手芸クラブ”に入ったそうです。
何かお題が与えられるのかと思いきや、児童の方で勝手に何でも作っていいそうです。
裁縫でもいいし、ビーズでもいいし。たぶん、各自持ち寄って作製、顧問の先生はそれぞれに助言するという形なんでしょうか。
それはそれで困りますがー(^_^;)
春海は、先週の土曜日、同じ手芸クラブに入ったお友だちと待ち合わして、手芸店に買い物に行きました。
いつもならママがついて行くところですが、ママ不在のため、パパがついて行ったそうです。
で、春海は何を買ったかというと・・・・。
お弁当箱を入れるバッグを作るとかで、作り方の書いた紙を手芸店の人にもらい、布は購入、針などはおまけでもらった・・・・とか?
お弁当バッグを手縫いって、ママでもせんわ!(^_^;) 春海にできるんかな?
春海は”手芸クラブ”に入ったそうです。
何かお題が与えられるのかと思いきや、児童の方で勝手に何でも作っていいそうです。
裁縫でもいいし、ビーズでもいいし。たぶん、各自持ち寄って作製、顧問の先生はそれぞれに助言するという形なんでしょうか。
それはそれで困りますがー(^_^;)
春海は、先週の土曜日、同じ手芸クラブに入ったお友だちと待ち合わして、手芸店に買い物に行きました。
いつもならママがついて行くところですが、ママ不在のため、パパがついて行ったそうです。
で、春海は何を買ったかというと・・・・。
お弁当箱を入れるバッグを作るとかで、作り方の書いた紙を手芸店の人にもらい、布は購入、針などはおまけでもらった・・・・とか?
お弁当バッグを手縫いって、ママでもせんわ!(^_^;) 春海にできるんかな?
最初はポケットティッシュカバーぐらいにしとき、とアドバイスしたのに。
秋山兄弟生誕地 ― 2011年05月24日 18時35分11秒
藤本さんとお別れしたあと、まだ少々時間があったので、付近をうろうろしてみました。
おみやげは買ったしー。
でも、お城に上がるほどの時間はないしー。
おっ!? 秋山兄弟生誕地?
通りに案内が出ていたので行ってみました。
おみやげは買ったしー。
でも、お城に上がるほどの時間はないしー。
おっ!? 秋山兄弟生誕地?
通りに案内が出ていたので行ってみました。
入場料は大人300円でしたが、前日、坂の上の雲ミュージアムに行っていたので特別割引で250円でした。
秋山好古陸軍大将の騎馬像
秋山真之海軍中将の胸像
写真ではわかりませんが、それぞれの銅像は向かい合っていて目と目が合っているそうです。
真之さんの銅像の後ろに現在使用されている武道場があり、そこには好古さんや白川義則陸軍大将の書などが掲げられていました。
真之さんの銅像の後ろに現在使用されている武道場があり、そこには好古さんや白川義則陸軍大将の書などが掲げられていました。
こちらは生家の復元家屋。
座敷
台所
井戸
復元家屋の中では、秋山家子孫の方のインタビュー映像も流れていました。
死の間際、好古さんが、最後に、
「馬を引け!」
と言って亡くなられた・・・・という話は印象的でした。