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激しくどうでもいい戦史シリーズ2011年04月05日 09時57分30秒

久しぶりに”激しくどうでもいい戦史シリーズ”。

いや、待て、待て、いままでは”どうでもいい戦史シリーズ”だったかな?

どうでもいいけど、とにかく、わたし以外の人にとっては激しくどうでもいいことなので、スルーして下さってかまいません。

ホリブンの『紫電改空戦記』。

ママが前から持っていた『紫電改空戦記』は、↓こんなんで、樫出勇さん(陸軍)の『B29撃墜記』と一緒になった文庫版でした。

紫電改空戦記


昨日、知り合いの方から、ホリブンの『紫電改空戦記』という戦記をいただきました!!\(^O^)/
↓↓↓↓↓↓これだ!!↓↓↓↓↓
堀光雄『紫電改空戦記』


今回いただいたのは、ホリブンの手記単独で、A5版の大きさの冊子状のもの。
パラパラ見ましたが、内容は同じのようです。

ママが今日ここで取り上げようとしている”激しくどうでもいい”ことは、『紫電改空戦記』そのものではありません。
この手記は、ママのチョーお気に入り、愛読書です。一字一句、ホリブンの肉声だと思って、心に刻みながら読んでいます。どうでもいいことなんか、まったくありません。
ママにはもちろん大事な手記だし、ママ以外の人にとっても大事な手記に違いないと、勝手に確信しております。

他の人にとっては”激しくどうでもいい”ことだろうと決めつけてしまっているのは、表紙にちっちゃく印刷されている楕円形の丸の中のことです。

な、な、なんと! ホリブンじゃないですか!

しかも、この写真のホリブン、ママは初めて見ました!!(^O^)

しかも、しかも!! このホリブン、ヒゲがありますよ!!!!!

最初見たときは、
「えっ!? これ、ホリブンか!?」
と思うぐらい、ホリブンぽくなかった・・・・(-_-;)
よく言えば”精悍”、悪く言えばホリブンらしからぬ”怖い顔”しているんですよ。
ヒゲのせいだけじゃなくて、目つきもちょっと怖い・・・・かも?

この写真だけ単独でポーンと目の前に出されても、ママ、ホリブンだとわからないかも?

でも、眺めているうちに、
「やっぱホリブンだよな~(*^^*)」
いままでとは違うホリブンの魅力を発見したよーなー。

ある搭乗員さんが、ある飛行隊の特准の分隊士たちがたむろっていた指揮所のことを「鬼ヶ島」と言われていました。
その分隊士たちの顔ぶれを聞いたときは「なるほどー、鬼に違いない」と妙に納得もしました。たぶん、この搭乗員さんが名前を挙げられた分隊士たちは本当に鬼(笑)。
ホリブンはこの「鬼」の中には入っていません。
K上飛曹も「やさしい人」と言われていました。でも、今回の写真を見たら、すごく歴戦のベテランオーラが出ています。
「こんな顔して指揮所に座っていたら、いくらやさしい分隊士でも怖がられるかも知れない(゜_゜;)」
台南空や582空時代のホリブンとは別人みたいです。

一見怖いですが、見ているうちにすごく”頼れる男”を感じてきました。




ホリブンのヒゲに気づいたのは343空隊誌に掲載された、佐藤精一郎上飛曹とのツーショット写真でした。あれは二人の全身像で、画像も粗く、
「あれ? もしかしてヒゲ生やしている???」
って感じで、様子がよくわからない写真でした。
その後、K上飛曹に確認して初めて、「飛曹長時代のホリブンはヒゲを生やしていた」ってことが判明しました。

今回の写真は、ヒゲがめっちゃわかります!
K上飛曹、「鼻の下にちょぼヒゲ」と言われていましたが、隊誌の写真では「ちょぼヒゲ」かどうかわかりませんでした。
今回ははっきりそれがわかります。

「ええっ!? ホリブンがヒゲっ!?(>_<)」
と隊誌の写真では否定的だったママですが、今回の写真見て、考えが変わりました。

ホリブンはヒゲがあってもかっこいい!!\(^O^)/


※「ヒゲなんかどーでもいーじゃねーか」と言われつつ、懲りずに書いてみました(^_^)ゞ

平城宮跡 大極殿 資料館2011年04月05日 15時16分14秒

よくよく聞くと、春海の春休み、今日まで。

「なら、平城宮跡に行ってみよう!!」
と、春海と2人で電車に乗ってお出かけしてきました。

今日は天気もよく、あったかく、絶好の観光日和!!


大極殿

前に一度チャレンジしたものの、近寄れなかった復元大極殿。

西域の荒野の中に忽然と現れた王宮って感じですが、まわりはただたんに芝生養生中です。


1300年祭も終わったことだし、外から見れるだけかなーと思って近寄っていったら「順路」の矢印が。見学できるみたい!(^o^)


大極殿内部。
大極殿内部

見学者、いないしー。

高御座

大極殿の中心には、南面して天皇が着座する高御座(たかみくら)。
おおっーーーー。


大極殿天井

天井・小壁には上村淳之氏による蓮華文や十二支像、四神像など。


春海はここでスタンプラリーを見つけて、
「全部押してまわりたい!!」
と。
全部って、大極殿、東院庭園、遺構展示館、朱雀門、平城宮跡資料館。
1、2時間じゃ、まわれませんっ!(>_<)

お昼ごはんもまだなのに。    ←すでに12時半。

なんかね、全部押したら粗品もらえるって書いてあるんですよ(^_^;) 春海、すぐ釣られるから-。

「じゃあ、今回はあと平城宮跡資料館だけ行こう。残りはまた今度」
ということにして、帰り道にある資料館に行ってみました。

春海は入館後さっそくスタンプ押し。

ついでに(!?)内部見学。

奈良時代の貴族の寝室。
奈良時代貴族の生活

奈良時代の貴族の食事風景。
奈良時代貴族の生活

ここまで復元するなら、見学者に奈良貴族の格好させて記念撮影させてくれたらいいのに。



常設展示。
常設展示


まあ、こんな感じで。

春海、遺物には見向きもせず、
「ねえー、ママー、ここ、発掘体験できないのーー???」
って。
「発掘したいん?」
「したい!」
子どもは体験参加型が好きですね(^_^;)
そんなにしたきゃ、知っているおじちゃんに頼んでやるよ。”体験”じゃなくて”バイト”しておいで。



資料館をウロウロしていたら、知っている人にばったり会いました。
「あれーーー!? なんでーーー!?」
しかも、あっちは逆走だぜ!?

ホント、びっくりしましたねー(^_^;)

最後に虫ピンも見てきました(^_^)v


今日から4年生2011年04月06日 20時38分16秒

春海は今日から新学期。

毎年クラス替えがあります。

みなさん! 残念なお知らせです!
ブドウのK、違うクラスになりました(>_<)

みなさん! とってもよいお知らせもあります!
春海のクラス担任、大学新卒のイケメン教師だそうです!
今年は家庭訪問もWelcome! 参観日も、先生を見に行ってみよう!  なんのこっちゃ

でも、春海の「イケメン」はあてにならんからな~(-_-)


午後は、お友だち母娘とお花見に行きました。

お弁当、おやつのあと、親たちが、
「暑いなー、疲れたなー」
とシートの上でへばっているのを横目に、娘たちは、
「カメラ貸して! 写真撮ってくる!」
と、それぞれデジカメ持って城内探検へ。

桜だけではなく、提灯とか、狛犬とか、池の鯉とか、中には不明物体まで、いろいろ撮って帰ってきました(^_^;)


春海撮影。
春海撮り



美少女2人、記念の自分撮り。お見せできないのが残念!!(>_<)
お花見自分撮り

2人でカメラ持ってまわっていたら、知らないおばちゃんに、
スカートがかわいいね~(^o^)」
と声をかけられたそうです。

スカートが、って何やねん、スカートがって(--#)

今日は赤ベースのチェック柄のマキシ丈のワンピース着ていました。


最近春海もでかくなってきたので、以前のように、
「まあ、かわいらしいねえー」
と声をかけられることは少なくなってきましたね、ハイ。

昨日久しぶりに、
「美少女やね!」
と言われて、どう反応したらいいのか、すっかり忘れてしまっていて、困っていたようですが(^_^;)
そういうときは、
「パパに似ているの(^o^)」
なんて言わないように!!



最後はママ撮り。

お花見



春海、お尻にファブリーズする2011年04月07日 16時41分37秒

いつも春海が外出中は玄関で待たされているかっぱちゃんとぴよぴよちゃんが、今朝、春海が学校に行ったあと、リビングの座椅子の背もたれの上でひっくり返っていました。

「あれー? 今日はここに忘れて行ったんやなー」

春海、お昼に学校から帰ってくるなり、
「ママー! かっぱちゃん、乾いたーー??」

「濡らしたん?」
「ううん。朝、ファブリーズしていったのー」
ダッシュでリビングに行き、
「乾いてるわ! いい匂いがするよ!」
と、かっぱちゃんをママのところに連れてきました。

「ほら、嗅いでみて」
と、かっぱちゃんをママの顔にギュー。
ファブリーズしたってだけの話で、洗濯はしていないので、めっちゃ汚い。かっぱちゃんは汚ギャル(゜_゜;)

「ママー、お尻にもファブリーズしたんだよ(^O^)」
と、かっぱちゃんのお尻まで顔に押しつけられました。

ファブリーズされたかっぱちゃんのお尻

「いい匂いやろ! きれいになったよ!」


春海、ファブリーズ=洗濯した、って勘違いしているような・・・・?(^_^;)

戦友2011年04月08日 11時42分57秒

去年末、松山に行ったときにFさんという搭乗員さんからお聞きした話。

その方、比島におられたらしく。
比島から引き揚げてくるときに、2機の96陸攻が迎えに来たらしいのです。
それでも全員が帰れたわけではなく、帰れる搭乗員は指名されたそうです・・・・。残った方々はどうなったことやら・・・・。
(比島からの引き揚げに関しては他の搭乗員さんからもうかがったことがありますが、それはもう大変ご苦労され、悲惨な状況もあったようです)


で、Fさんは”帰れる搭乗員”として陸攻に乗りこむことに。

そのとき、もう1機の方に乗れる搭乗員として指名されていた仲良しの搭乗員が、
「こっちに来いよ」
と、自分が乗る陸攻の方に誘ってくれたのだとか。

たぶん、深い意味はなく誘ったのだと思います。
仲良しなので、道中一緒の方が・・・・ぐらいの気持ちだったのかも知れません。

「じゃあ」
とFさんはそっちの陸攻に乗り込みました。

そして・・・・。
もともとFさんが乗るはずだった陸攻は、途中で敵に襲われたらしく、台湾には到着しなかったとか。

Fさんは、わたしたちにその仲良しの搭乗員さんの写真を見せながら、
「戦後も一緒に酒を飲むと『オレはおまえの命の恩人だ。注げ!』と酒を注がされてねー(笑)」
と、一緒に生き残ったその方のことを懐かしそうに話してくださいました。


何がどう転ぶか・・・・。
逆もあり得たわけで。
これが”運”なんでしょうかねえ・・・・。