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大村空のホリブン2011年04月26日 09時04分04秒

『日本海軍戦闘機隊2 【エース列伝】』によると、ホリブンは18年1月7日、被弾落下傘降下負傷し、本土に帰還、その後、大村空を経て11月三亜空の教員に転じた・・・・と。

ここ、さらっと「大村空を経て」と流してありますが、よくよく考えると、結構な長期間。
1月7日の負傷は右腕骨折。どんな状態だったか詳しくわかりませんが、内地に送還されて治療して飛行機に乗れるようになったのは2月初めとか中頃とか・・・・そんな感じでしょうか?(※手記に記載がないので、あくまで推測)
そこから11月まで勤務していたとしたら、約9ヶ月ほどいたわけで。

台南空17年5月~10月
582空17年11月~1月
大村空18年2月頃~11月
三亜空18年11月~19年6月
高雄空19年6月~19年12月
343空20年1月~8月

(転勤日がわからないので)ざっと、こんな感じだとすると、ホリブン史の中では、大村空というのはもしかしたら、最長の勤務地かも知れません。

台南空時代のホリブン
17年8月4日集合写真と11月写真(251空)に写っています。
特ダネ座談会で当時のことも回想しています。
何と言っても、戦闘行動調書があるので出撃(哨戒)歴など、ちゃんとわかります。

582空時代のホリブン
樫村さんを囲む集合写真に写っています。
当時のことは手記にも詳しく書かれてあります。
戦闘行動調書もアリ。

大村空はちょっと後回し。

三亜空時代のホリブン
練習航空隊の行動調書は(たぶん)ないので、謎です。
ただし、19年4月5日の、254空・三亜空・海口空による南寧攻撃には参加していることがわかっているようです(1機撃墜後、被弾して海南島に不時着)。

高雄空時代のホリブン
手記に書いています。

343空時代のホリブン
手記、写真、その他貴重な証言の数々アリ。


後回しにした大村空ですが。
去年末、松山に行ったときに初めて大村空時代のホリブンに触れることができました\(^_^)/
大村空で練習生時代を過ごされたFさんという方が、
「教員の中には全日空に行った堀さんもいた」
と。18年5月頃。
「堀さんは射撃だったか、編隊だったか・・・・???」
みたいな? 記憶がちょっとあやふやだったのですが、とにかく同時期に在隊していた、と!


坂井三郎さんの『写真・大空のサムライ』(ママのは2000年4月24日 新装版第2刷)に大村空時代の集合写真が6枚掲載されています。
坂井さんが大村空にいたのはたぶん18年春ぐらいから1年ちょっとぐらい?
(調べようとしたけど、ママにはわかりませんでした)


掲載順に。
1枚目。キャプションに「18年5月」と書いてあります。杉田庄一さんが教員席の端っこにいます。
たぶん顔を見たら間違いなく杉田さんだと思うのですが、「18年5月」には杉田さんは204空・ラバウルで激闘中だと思うので、時期が間違っているんじゃないかと・・・・。杉田さんが写っているってことで18年秋以降かな?

2枚目。「19年3月」。ということはホリブンは写っていない、と。

3枚目。たぶんこれもキャプションの付け方から「19年3月」。ホリブンいない、と。

4枚目。後回し。

5枚目。これはキャプションに撮影時期がありません。キャプションに記載のある人は、坂井さん、山下少佐、川添大尉、赤松貞明さん、。キャプションにはないけど、見たらわかる小町定さんも写っています。

6枚目。これはキャプションによると「19年2月11日紀元節、准士官以上」ということなので、ホリブンいない、と。


というわけで、ホリブンが写っている可能性があるのは、1枚目、4枚目、5枚目、です。

1枚目の写真、18年秋以降11月までの間ならホリブンも写っている可能性があるけれど・・・・。

5枚目は、ちょっーーーーーとだけホリブンぽい人がいるのですが、軍帽の庇で影になっていて顔がよくわからない・・・・自信がない・・・・。

さっきから後回しにし続けている4枚目。
これ、かなり自信がありました。
「これは絶対にホリブンに違いない!!」
って人が写っているんですよ。

自信があったので、集合写真のこの部分だけホリブンのことをよくご存じの方に見ていただきました。
ホリブンでしたーーー!!!

\(^O^)/

↓例によって例のごとくイメージ図。
大村空のホリブン

こんな感じで、下士官の一種軍装姿でかっこよく写っています。

ママ唯一のホリブンの一種姿!(*^^*)

同じ写真が閲覧可能な方、前から2列目の左から4番目です。

加藤浩『神雷部隊始末記 人間爆弾「桜花」特攻全記録』学研2011年04月26日 18時26分33秒

注文しておいた『神雷部隊始末記』が届きました。

神雷部隊始末記

「まだ読んでなかったのかよっ!?」
とツッコミ入れているあなた、はい、読んでいませんでした(汗)。

この本が新刊コーナーに並んでいるときに一度手にとって立ち読みしたことがあります。
巻頭のカラーページに、20年3月21日の野中隊出撃時の米軍のガンカメラ映像が静止画像で記載されていて、それを見てショックを受けて買わずに本棚に戻してしまいました。

その後、いつの間にか本屋の本棚からなくなっていて・・・・そのうち注文しよう・・・・と思いつつ、とうとういまになってしまいました。

少し前、ブンユウさんからの手紙に、星野實兵曹のことが書かれてありました。
20年8月13日に喜界島から岡島四郎中尉(予13期)と一緒に沖縄方面に特攻出撃し戻らなかった甲飛12期出身の搭乗員です。
ブンユウさんの仲良しの搭乗員だったそうです。

その特攻出撃に関して、喜界島出身の弁護士の方が書かれた資料も同封されていました。

それに刺激されたこともあって、読み物としても資料としても高評価の『神雷部隊始末記』を手元に置いておかなければ、と遅ればせながらやっと今日、入手しました。


今日のママの最重要任務は、明日行われる家庭訪問に向けて家を大掃除することだったので、
「読んではいけない、読んではいけない」
と自分に言い聞かせ、必死でこらえて写真だけパラパラ見ました。よくこれだけ集められたなあ、というぐらい写真たくさん。
写真だけでも泣けました。
特攻隊としてちゃんと撮影した集合写真から、日常生活風景らしいスナップ写真まで。

本文の方は、結構なボリュームなので、ぼちぼち読みます。
(もう、ところどころ読んでしまったけど・・・・)