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ホリブン、返答に困る2011年03月03日 15時45分12秒

もうこれ以上、K上飛曹からホリブンの思い出は出てこないだろうなあ、と思っていましたが。

一昨年の秋、愛南町の山の上で、強風に吹き飛ばされそうになりながら迎えを待っている間、
「そういえばな、20年の2月やったか・・・・堀さんと編隊訓練に上がってな」
と、石鎚山の樹氷の思い出を突然語り出されたときも、
「まだあったのか!?(゜_゜)」
と驚いたものです。

ですから、今日もとっても驚きました。
「まだあったのか!?(゜_゜)」
と。


たぶん、戦後、ホリブンから直接聞かれたと思われるエピソード。


ホリブンが、宮崎県西都市の杉安という集落で皇統護持作戦に従事していた頃の話。

道を歩いていて突然声を掛けられたそうです。

「堀分隊士、何故こんなところに!?」

誰かと思って見たら、なんと戦闘301の下士官搭乗員。

その搭乗員はもともと西都の出身の方だったのでしょうか。終戦で田舎に戻ってきていたのでしょう。

当時は、下士官たちには作戦のことは秘密だったらしく、ホリブンは返答に困ったそうです。

道でばったりホリブンに会ったその下士官搭乗員も驚いたことでしょう。
「なぜ岐阜県出身の分隊士が、西都のこんなところをウロウロ歩いているのだ?」

現在のように気軽にどこにでも行けるような時世じゃないですからね。
東京や大阪で元上官にばったり、ってことはあり得ても、西都のような田舎で元上官にばったりは想定外だったでしょう。

どこらへんで出会ったのかまではわかりませんが、その下士官搭乗員の方が現在お住まいの場所に当時から住んでいたと仮定して、もし、その方の近所で出会ったとしたら、ホリブンはかなりの距離を歩いて移動していたことになります。往復で3時間以上かかるかな?
ちょっと散歩・・・・って距離は超越しているんですよね(^_^;)  
生活必需品の買い出しかな?      


お互い想定外の”ばったり”。そこでどんな会話が交わされたのやら・・・・。

「何故こんなところに?」
と聞かれてホリブンが何と答えたかは不明ですが、返答に困っているところを想像して、ちょっとクスッときてしまいました・・・・。


今日の22型2011年03月03日 20時06分16秒

22型の操縦席、今日はここまで進みました。


22型操縦席


昨日と同じに見えるかも知れませんが、操縦席後ろの酸素ボンベと、操縦席の左側部分が新たに加わっております。

あと、胴体をランナーから切り離して、操縦席部分はちょっと色を塗りました。



前にタミヤの零戦21型1/32を作ったとき、取説の指示通りにいくつかキラキラ系のタミヤカラーを買いました。

塗料

それがねえ、ホントに”ちょび”としか使わなかったんですよ(T_T)

しかもこれ、ハセガワのプラモで使うところがない・・・・。

もう、使うこともないだろうなあー、もったいなかったなあーと思っていたのですが、今回も酸素ボンベの栓?やベルト?みたいな部分で使うことができました\(^_^)/

お蔵入りと思ってた塗料に再登板の機会があり、それがミョーにうれしかったー(^o^)