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ブンユウさん2010年10月30日 09時34分13秒

わたしには大切なブンユウさんがいます。

ブンユウ―――「文章の友」という意味のブンユウらしいです(^_^)

要するに、メル友ならぬ手紙友。

友・・・・といいつつ、わたしから見たら人生の大・大・大先輩で、「友」と呼ぶなど畏れ多い方なのですが、あちらから「ブンユウ」と言ってくださるので、お言葉に甘えています。

手紙も、
「ブンユウ様」
「ブンユウより」
という感じで届きます。

ブンユウさんからの手紙

ワープロ打ちでたくさん書いて送ってきてくださいます。
戦友会や外国旅行の写真を同封してくださったり・・・・。海軍時代の写真も。飼っているにゃんこの写真も。
写真が趣味で、ご自分で焼かれるのだとか。

最近は、話題もいろいろと広がってきたのですが、手紙のやりとりをはじめた頃は、ブンユウさんが海軍時代に所属されていた神雷部隊の話をお願いしていました。
片桐清美兵曹のことや、豊後水道で訓練をした話、K1で訓練中に事故にあって大怪我をした話・・・・。

会ってお話をしたときも感じたことですが、わたしのブンユウさんは、ご自分が特攻隊員だったことに関して、否定的なことを言われたことがありません。

「特攻隊はイヤだった、行きたくなかった」
とか、
「当時のことは思い出したくもない」
ということばは、わたしは一度も聞いたことがなく、特攻に向けての豊後水道での訓練の話も、
「有意義な訓練だった」。
K1で事故にあって大怪我をされたときのことも、冷静に、克明に憶えておられて、淡々と話をして下さいました。

今朝放送された桜花特攻の特集番組の最後に、ブンユウさんが神之池基地(神雷部隊の基地があったところ)の慰霊碑の前でうつむいて涙を流されているのを見て・・・・。

ブンユウさんのそんな姿を初めて見てしまって・・・・。

ご自身のことに関しては後悔するようなことは何もないのかもしれない・・・・でも、亡くなった戦友たちに対しては、やはりいろいろな思いを抱えているのだと・・・・。


ブンユウさんだけじゃありません。
特攻隊員ではなかったK上飛曹もO上飛曹も、海軍時代の話はこちらがせがめばいろいろ話してくださいますが、やはり、結局、最後は若くして亡くなった戦友の話になります。
こんなやつだった、こんな死に方をした、ということを、戦争を知らない若い人にも伝え残したい・・・・という気持ちがあるのか、無意識なのか・・・・。

搭乗員さんたちはどなたももうかなりご高齢です。80代半ば以降・・・・ですかね?
そんなお年でも、慰霊祭や戦友会があれば、体調が許す限り、遠いところからでも駆けつけておられるようです。

最初の頃はわたしは、半年に一度でも、1年に一度でも、離ればなれになっている戦友たちと再会できるのが楽しみなのだろうなあ、と思っていました。
もちろんそれもあるでしょうが、いまは、あの方たちが遠路はるばる集まってこられるのは、若くして亡くなってしまった戦友たちの慰霊のため、というのが大きいのだろうなあ・・・・と思うようになりました。

忘れてしまう、ということが一番悲しいことですから・・・・。

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