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鎌倉 報国寺2010年10月11日 13時02分40秒

パパ、毎日日付が変わらないと家に帰ってこないので、見たい番組は録りダメしています。

パパのお気に入りのひとつに、『シルシルミシル』という番組があって、その中に朝丘雪路さんがタクシーに乗って、運ちゃんオススメのお店(飲食店)に連れて行ってもらう、というコーナーがあります。

いつの放送分かわからないのですが・・・・。
録画分を見ていたら、そのコーナーの訪問地が鎌倉でした。

おそばを食べたり、精進料理を食べたりしたあと、朝丘さんが、
「お抹茶が飲みたい」
と言い出して、運ちゃんにお抹茶が飲めるお寺に連れて行ってもらいました。

報国寺。

朝丘さんご一行は、境内の竹林を眺めながらお抹茶を堪能されていました。



ここって、林喜重大尉のお墓があるお寺ですよね・・・・。

ネットで検索していて見つけたという話で、自分で確認はしていないのですが・・・・。



ちょっと、ことばもないので、次、行きます。


【今日の林大尉機】

紫電改 343-B-30

いくら塗っても塗っても地が透けて見えるので、あと数回は・・・・と覚悟していた塗りですが、今日、新しい筆で塗ってみたら、さっと塗れてしまいました。アレ?(^_^;)

というわけで、デカールを貼ってみました。

隊長機なので胴体後部に斜めの白2本の帯が入っています。まだ貼っていません。

林さんの乗機と言えば、
20年4月16日 B-38
20年4月21日 B-30

16日は喜界島上空で空戦をやった日で、林さんは増槽が落ちずに苦戦し、列機3人(石田貞吾上飛曹、小竹等飛長、西鶴園栄吉飛長)を失ってしまった日です。
市村分隊長によれば、
「鈍足の隊長機は高度四千から海上すれすれまで敵機に追われたようだ。識別も鮮やかな2本の白線を胴体につけていたため狙われたのではないか」
とのこと(『源田の剣』)。

ですが。

敵のパイロットに白線を見たものはいないそうで。

4日前の12日。
戦闘301の沖本堅2飛曹(宮崎小隊の3番機)が「B-38」号機で出撃しているようです。

白い二本線の入った戦闘407隊長機、他隊の搭乗員が乗っていってもいいのかな?と。
もし、敵から見て「隊長だ、やっちまえ」って目印になるとしたら、誰も乗りたがらないような気も。

B-38号機の白線に関しては、ママはわかりません。

かといって、B-30号機は白線が入っていたかどうか、これも断言できないわけで。

これに関しては、林さんが不時着(墜落?)した阿久根市折口の海岸での機体の写真が残っているのですが、『源田の剣』に掲載されている写真は、遠方のためか不鮮明で、機体の上半部しか見えておらず、塗装がどうなっているのかまでは確認できません。

ただ、市村さんが「(胴体に)2本の白線」と言われているので、(機番号はともかく)それが戦闘407の隊長機の識別だったのでしょう。
とにかく、白い2本線の入った隊長専用機があった、と。

個人的には、戦死されたときの機番号で作るのはどうかな・・・・とも思ったのですが、16日の「B-38」も、林さんにとって決して縁起のいい機体ではないようなので、迷った末、ついていたデカール「B-30」で進めています。


※B-30号機も、林大尉戦死後の5月16日に戦闘407の高木由男飛長が搭乗しています。
果たして、機番号は1機1番号が原則なのか、機番号の使い回し(?)がされていたのか、そこらへんはママはわかりません。
まさか、林さんが阿久根の海に不時着させた機体を回収して、再び搭乗可能状態にした・・・・という可能性もあるのでしょうか?

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