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先任搭乗員2010年09月29日 09時28分45秒

ママは「飛曹長」という階級、聞くだけで萌え萌え(*^^*)

それと同じぐらい「先任」とか「先任搭乗員」ということばに萌え萌えになります。

頼りがいのある兄貴って感じじゃないですか!?


「先任(搭乗員)」と言われてみなさんが真っ先に思い浮かぶ人は誰でしょう?
ママ、想像するに、坂井三郎さんじゃないかと思いますが。
ちょー有名な『大空のサムライ』で、先任といえばこの人ですからねー。

ママの場合、「先任(搭乗員)」と言われたら、西澤さんとホリブンです!!
といっても、海軍航空隊はだだっ広いので、先任搭乗員経験者はたっくさんいらっしゃるのですが。みなさん、立派な方ばかり(のはず)。

この先任搭乗員って地位?、実はママもよく把握していません。
システムというか・・・・。任命はどうなっているのかとか、仕事内容はとか。
上飛曹、飛曹長のような階級とは違って、公式な辞令が交付される役目ではないと思うんです。
「○年○月○日付   上飛曹 西澤廣義 251空戦闘機隊先任搭乗員ヲ命ズ」
こんなん見たことないです。

ホリブンは自分が戦闘301の先任搭乗員に任命されたときの様子を手記に書いています。
20年1月、台湾から松山に転勤してきたその足で菅野隊長の元に案内され、そこでお互い自己紹介のち、
「堀上飛曹は先任搭乗員だ。頼むぞ」
と言われた、と。
この場合、隊長から口頭で任命ってことで!

で、どんな人がなるのか、と。
たぶん、下士官兵の中で最先任者がなるんだと思うんですが。
(海軍歴が古いとか階級が上とか絡んでなんか複雑・・・・。もし、予科練などの同期生が複数いる場合は成績で決められた先任順位の高い方)
ただ、いついかなる場合でも最先任者がなるのかどうかはママにはわかりません(>_<)

ホリブンはこのとき、昭和13年11月予科練乙10期入隊の上飛曹でした。
ざっと見渡したところ、戦闘301の下士官の最先任者のようです。
(ホリブンが20年5月に飛曹長になったあと、先任搭乗員を引き継いだのは乙12期(昭和14年11月入隊)の真砂福吉上飛曹。あのベテラン搭乗員の杉田庄一上飛曹も15年入隊)

先任搭乗員の名称。
「先任搭乗員」以外に、大野竹好中尉の手記で西澤さんが若い搭乗員に「班長」と呼びかけられている場面があるので、「班長」とも言っていたのかな。
たしか、坂井さんも「班長」と呼ばれていましたね。
搭乗員さんたちは、「先任搭乗員」って言い方はあまりされません。「先任下士」と言われます。


先任搭乗員の仕事内容は・・・・。
坂井さんの手記やホリブンの手記を読むと、下士官搭乗員のまとめ役・指導役ってところでしょうか。
坂井さんは先任搭乗員として下士官兵を殴って締めることもあったようです。
西澤さんは、
『若年搭乗員の教育には時として気狂い染みて見えるほど熱心』(By 大野竹好中尉)
らしいので、やはり、後輩指導になると周囲が見てハラハラするような場面もあったのかなーと。

余談ですが、某航空隊某飛行隊の某先任搭乗員。
めっちゃ怖かったらしいです。
元部下の人がそう言っているのではなく、他隊の人がそう言っています。
「世界で一番怖い! その人が廊下を歩いているだけでシーンとする。酒をよく飲む人で、鬼瓦みたいな人」
写真、見たんですけどね・・・・。「鬼瓦」には見えませんでしたけど・・・・。怒ると鬼瓦に豹変したのかな?
余談の余談ですが、この隊は先任だけではなく分隊士(予科練出身のベテラン)も怖い人やったらしく、訓練中、他の人が見ていないようなところまでちゃんと見ていて、着陸後に、ボカッ!

ホリブンは、
「全然こわくない、やさしー先任」(By K上飛曹)
だったそうです。

しかし、ホリブン的には部下から「やさしー先任」とだけ思われていても困るわけで、口頭では搭乗員たちを指導していたようなことを手記に書いています。

手記に書いているこの口頭注意。
実はホリブンの発意でやったことではありません。
ある日の空戦後、ホリブンは菅野隊長に呼び出され、人のいないところに連れて行かれ、
「今日の戦闘でみなが命がけでがんばり、戦死した者もでたのに、はるか上空を飛び回りぶらぶらと高見の見物をしている紫電改が一機おった。もってのほかだ」
と言われたのです。
「うちの隊のものでしょうか?」
とホリブンが聞き返しているところからすると、ホリブン自身はそのブラブラしていた紫電改は目撃していない模様。
しかし、隊長から注意を受けたとあっては放置するわけにもいかなかったのでしょう。
宿舎に戻るとすぐに搭乗員を集めて菅野さんの話を伝え、一同に奮起を望んだ・・・・そうです。

先任搭乗員は隊長と下士官の間に入る調整役も兼ねているようです。
果たしてこの”調整”で菅野さんの憤慨が倍増して搭乗員たちに伝わるのか、それとも半減して伝わるのか、それはわかりませんが。

K上飛曹は、ホリブンがみんなを集めて説教や指導をしたような記憶、ないみたいです。
ということは、ソフトに変換されて搭乗員たちに伝わっていたのかな?

手記の中にはホリブンがあの杉田上飛曹に”指導”を入れる場面も出てきます。
「ホリブン、スゲー(゜_゜)」でしょう?
例のブラブラしている紫電改が目撃された同じ空戦の時・・・・。
空戦後、杉田さんが護衛しているはずの菅野大尉が1人で帰投していたらしいのです。ホリブンは追いついて菅野さんと一緒に帰投。
あとで杉田さんを、
「お前は、比島の二○一空時代から菅野隊長に可愛がられてきたのに、今日は隊長をやりっ放しにしてダメじゃないか。帰りはおれが隊長と一緒だったんだぞ」
と、厳しく叱責・・・・と思いきや、
『と、ニヤニヤしながらからかうと・・・・』(-_-)
これが”ホリブン流先任搭乗員としての指導”。
といっても、このとき、ホリブンは自分の護衛対象の松村分隊長を空戦中に見失い、あわや行方不明(未帰還)・・・・という事態になっていたので、ヒトのことはとやかく言えなかったのかもしれません。
(のち、松村分隊長は無事帰還)

あと、これはホリブンが勝手にやっていたことなのかどうかよくわからないのですが・・・・。
『基地移動にあたっては、先任搭乗員の私が新選組の看板を機体内に入れて飛び、基地に降り立つと真っ先に看板を担ぎ出し、三四三空に割り当てられた場所のうちから適当な箇所を見計らって、
「オーイ、新選組屯所はここに決めた!」
と叫び・・・・』

ホリブンと新選組看板

隊のシンボル・新選組屯所の看板の運搬、指揮所の選地、指揮所建設?の監督も兼ねていたようです。

ホリブン曰く、
「何かと気苦労の多い先任搭乗員」
らしいです(^_^;)


気苦労の甲斐があったのか、戦闘301はホリブンが先任をしている間には大した騒動は起こしていませんね。
ギリギリに締め上げなくても、先任の人柄で搭乗員たちはちゃんとまとまるっ! ヘ(^^ヘ)(ノ^^)ノ

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