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第9銀河隊2010年09月28日 10時42分56秒

8月に宮崎に帰ったときに、空港横の宮崎基地慰霊碑にお参りに行ってきました。


宮崎基地慰霊碑


宮崎基地慰霊碑

最近、第9銀河隊のことは書いていませんが、少しずつ、少しずつ、いろいろなことがわかってきています。

第9銀河隊として出撃しながらエンジントラブルで引き返し、終戦まで生き延びられた搭乗員の手記を見せていただきました。

いままでわからなかった部分のことも書かれてあったり・・・・。
わかるのはいいのですが、逆にそのことで混乱してきている部分も。

わたしの中で一番引っかかっているのは、特攻出撃前日、美保から宮崎に移動する際、かれらは自分たちが特攻隊として出されたということを知っていたのかどうか。

これは、まだいまのところ、決定的なものはないですね・・・・。

「知っていた」という人と、「知らなかった」という人と・・・・。
第9銀河隊は762空のK406とK501の混成部隊です。「知っていた」「知らなかった」は別に飛行隊の違いからくることでないみたい。

今回の手記はK501から参加した隊員の手記ですが、その人は事前に特攻であることを知っていたように書いています。
同じくK501の指揮官・深井中尉機偵察員の俵上飛曹は、出撃前の宮崎基地で親しくしていた戦友に偶然会って、
「宮崎で急に特攻編成されて命令が下った。急なことで遺書を書くひまもない」
と動揺していたらしいし・・・・(神野正美『梓特別攻撃隊』光人社)

K406から参加して生き残られた方で、
「宮崎基地まで銀河を空輸せよ」
との命令を受けての移動だったと書かれている方もいます。
かと思えば、同じK406で、美保を発つときに戦友に辞世の句を託して行った隊員もいるし、ちょっと針路をそれて実家の上空で(遺品代わりに)マフラーを投下した隊員もいるという話だし・・・・。

今後、この経緯がハッキリする日がくるのかどうか・・・・。

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