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故林少佐戦死之地2010年08月29日 09時41分06秒

わたしはいままで個人のお参りはしたことがありませんでした。

特にポリシーがあって個人のお参りはしないと決めているわけではなかったのですが、思い返してみると、一度も行ったことがありませんでした。

今回、宮崎に帰省するにあたって、戦闘407の飛行隊長・林喜重大尉の戦死の地、阿久根の折口浜にどうしても行ってみたくなって、日帰りできないかどうか調べてみました。

「なんとか公共交通機関で日帰りできそうや」

宮崎駅から特急で鹿児島中央駅まで。
そこから川内まで行って、肥薩おれんじ鉄道で折口まで。

あとは慰霊碑がどこにあるかだけ。

え!?(゜_゜;)

そうなんです、慰霊碑がどこにあるかわからないまま出かけました(+_+)

いちおう、事前にネットで調べたり、この人ならご存じなのではって人に聞いてみたのですが、結局「ピンポイントでここ」ってわからないまま出かけました。

8月22日。
6時半に家を出、宮崎駅7時28分の特急に乗って一路鹿児島へ。

桜島

国分付近から見た、車窓からの桜島。
あの朝、林大尉もこの桜島を見ながら出撃したのでしょうか・・・・。

9時36分、鹿児島中央駅着。
すぐに出水行きの快速オーシャンライナー(JRと肥薩おれんじ鉄道の相互乗り入れかな?)に乗り換え40分に出発。

折口に着いたのは11時過ぎでした。

上りも下りも1時間に1本しかないようなところなので、帰りの時間は決まってしまっています。
12時10分の川内行き。(これに乗らないと宮崎到着が2時間遅れる・・・・)
折口に滞在できる時間は1時間。

さて、どうしよう・・・・。

ちょうど運良く、駅前にタクシーが1台停まっていました。
運ちゃんに、
「ここらへんに、戦争中に亡くなった軍人さんの慰霊碑があると思うんですけど」
と聞いてみたら、ご存じないとのこと。すぐに手持ちの地図で調べてくれました。でも、
「いやあ・・・・、ちょっとわからないねえ」

「たぶん、ここよりもっと浜の方だと思うんですけど、浜の方にお店とかないですか?」
「ありますよ。そこで聞きましょうか」
「じゃあ、行ってください」

タクシーで浜の方まで行って、酒屋さんで聞いてみました。

「ああ、ありますよ。えーっと・・・・」

おかみさんがタクシーの運ちゃんに説明してくれました。
運ちゃんはその説明でわかったようで、その場所に連れて行ってくれました。

その集落の中ではわりと大きなT字路(信号あり)のすぐ脇に、浜の方に伸びる細い道があり、そこを入っていくと小さなお社がありました(帰ってきて地図で調べてみたら、「石船神社」というらしい)。

そこにタクシーを停めて、運ちゃんも一緒に慰霊碑を探してくれました。

見つけました。案内板。

案内板

神社の裏側が、サッカーや野球ができるぐらいのグラウンドになっているのですが、その入口にわりと新しげな案内板が。

故林少佐慰霊碑
    
 バックネットうら



それを見つけた時点で、運ちゃんには、帰りは歩く旨を伝えて引き取ってもらいました。

人を待たせてお参りするのはイヤだったので。

奈○のタクシーと違って、ここらへんのタクシーの運ちゃんはとっても人がよさげで親切でした。
ありがとうございました。



「バックネット裏だな、よし」

ママはグラウンドに入って、そのバックネットとやらを見てびっくり。
「な、なんか、荒れてない・・・・?」

下の画像、バックネットと、その左の金網の間から慰霊碑の方へ入れるのですが、マムシがいるんじゃないかと思うほどの草むら。

そこから覗いてみても慰霊碑は見えません。草むら部分は地面も見えないし。

「ええっーーー、ここに入るのーーー?(T_T)」

バックネット裏

ママ、学生時代、遺跡の測量とか発掘とかしていましたが、実は藪とか草むらが大の苦手。

「これはムリ・・・・(+_+) 何か試されているのだろうか・・・・?」

いや、でも、ここまで来て引き返せない。
きっと、この草むらの向こうに慰霊碑があるはず。

マムシ覚悟で草むらに入って行ってみました。

すると、すぐに舗装された参道が。

慰霊碑

ママが行ったときには先客がいました。

男性2人。容姿、雰囲気、公務員風。
ママが乗ったタクシーの前を車で入ってきた人たちで、ママと運ちゃんがうろうろ慰霊碑を探している間に、2人は事前にこの場所を知っていたようで、先にまっすぐ来ていたのです。

2人が慰霊碑の碑文を読んでいる間、外で待っていました。

どうも、2人は林さんに何か思い入れがあってここに来たのではなく、仕事か何かで来ているような様子でした。
碑文の文字を「さんびゃくよんじゅうさん航空隊」と読んでいたし、2人で、
「この林少佐って人は地元の人じゃろうねえ」
なんて会話をしていたので、たぶん、仕事か何かで来ているのかなー、と。

よっぽど、
「そこに鎌倉の人だって書いてありますよ(-_-)」
と言ってやろうかと思ったのですが、お参りに来たので、もう黙っていました。
たぶん、林さんも聞き流しているだろうな・・・・と。

2人が引き上げてから、1人でゆっくりお参りしてきました。



グラウンド側から見たときには、荒れているんじゃないかと心配したのですが、直近にゆかりの方が来られたのか、地元でお世話をされている方がおられるのか、真新しい花がお供えしてありました。


ここから海は見えません。
ただ、木々の向こうから波の音だけが聞こえていました。


林さんが戦死した浜には行けないまま帰ってきてしまいました。
それだけが心残り。

帰りの電車の中から、おそらくあの辺に不時着水したのではないか、というあたりを見てきました。

折口浜

ネットでここを探したときに、慰霊碑の写真と一緒に折口浜の画像が出ていたのですが、雨雲が低く垂れ込め、打ち寄せる波も荒々しげで、暗ーい感じの海岸でした。

わたしが行ったときの折口浜は、静かで、穏やかで、美しい絵のような海でした。





林喜重大尉。
神奈川県鎌倉出身。海兵69期。

林喜重大尉

戦闘407飛行隊長。

20年4月21日。
第一国分基地からB29邀撃。
阿久根市折口浜にて戦死。享年24歳。
地元で荼毘に付されて、戦後、その地に慰霊碑建立。

部下思いだったという林さんらしく、すぐ横に、戦闘407の全戦死者・生存隊員の名前が刻まれた石碑や、一緒に戦死した戦闘301の清水俊信1飛曹の名前が刻まれた石碑もありました。


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