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妄想・ひねり込み2010年08月01日 00時01分01秒

渡辺洋二さんの文春文庫の新刊『決戦の蒼空へ 日本戦闘機列伝』に、去年『航空ファン』に掲載されていた「「J改」指揮官の個性」という短編が再録されています。

343空の3飛行隊長-戦闘301・菅野直大尉(兵70)、戦闘407・林喜重大尉(兵69)、戦闘701・鴛渕孝大尉(兵68期)-に関して書かれたものです。

ママは『航空ファン』を立ち読みしたとき、見たことのない写真が掲載されていたので、そのときに飛びついて買ったのですが・・・・。

その見たことがなかった写真のうちの1枚。
「361空・戦闘407飛行隊当時の昭和19年6月、鹿児島基地で林喜重大尉が来本上飛にひねり込みの機動を教える」

林さんの斜め後ろぐらいからのショットで、顔は写っていませんが、戦闘帽に飛行服姿で、左手に飛行機模型のようなものを持って、来本上飛に何か説明している様子です。

「ひねり込み」に関しては神立尚紀さんの『祖父たちの零戦』にも触れられています。
進藤さんが昭和11年に「ひねり込み」を会得したときのエピソードです。
ベテランの蝶野仁郎一空曹と空戦訓練を重ねながら会得したらしいのですが、蝶野さんはいちいち「ああやって、こうやって」という教え方はせず、何度もやっているうちに進藤さんが自分で会得した・・・・みたいな?

たとえ何も教えてくれなかったとしても、相手は誰でもいい、誰とやっても「ひねり込み」が身につく、というものではないのかもしれません。
ベテラン搭乗員とやってこそ、ちらっとでもその技を間近に見ることができるし、さらにはひねり込まないといけないような状況に追いやられるのでは!?
とママは妄想するのです。

で、先ほどの林大尉です。

部下の回想では「操縦技倆が高い」とか「腕も度胸もいい」とか。

では「ひねり込み」を含めて、その操縦技倆は一体どこで身につけたのか。

林さんの最初の実施部隊は251空です。昭和18年2月。豊橋で練成中の251空に着任したものと思われます。

飛行学生を終了してすぐなので、おそらくここでベテラン下士官と実戦に向けた空戦訓練をしたのではないかと、これまた妄想。

その当時、251空にいた実戦経験のある下士官といえば、すぐに思いつくのは台南空からそのまま残った西澤廣義上飛曹、田中三一郎上飛曹、遠藤桝秋1飛曹、山崎市郎平1飛曹(このころは怪我で戦列を離れていた?)、米田忠2飛曹、山本末廣2飛曹など。

この中で一番ひねくれ・・・・いや、違った。一番ひねり込みそうなのは、これまた勝手な妄想でありますが、西澤さんとか、西澤さんとか、西澤さんとか・・・・ヘ(^^ヘ)(ノ^^)ノ

69期の新任中尉は林中尉を含め3名(他、香下孝中尉、橋本光輝中尉)いたので、西澤さんがたとえ空戦訓練の相手をしたとしても、林中尉とやったかどうかはわかりません。
それでも林さんは元台南空の「ひねり込み」を上記のうちの誰かから伝授(? あるいは見取り会得)された可能性が高いのでは?

・・・・ないかなー?

と、あの写真の林さんの左手を見るたびに妄想しています。

で、その技は林さんを通じて、来本上飛など、林さんの部下に伝わって行ったんですね・・・・。

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