ピカピカの飛行グツ ― 2010年03月27日 08時23分51秒
戦時中、報道班員として神雷部隊の隊員たちに接していた山岡荘八さんの手記『最後の従
軍』(昭和37年・朝日新聞に連載)の中に、「破れた飛行グツ」という話があります。
神雷部隊第5筑波隊の西田高光中尉(大分・大分師範・予13期、20年5月11日特攻戦死)のエピソードです。
ご存じの方も多いと思いますが、かいつまんで紹介。
西田中尉の出撃二日前、新しい飛行靴が配給されました。
すぐに西田中尉は、しばらくあとに残ることになった部下の片桐1飛曹を呼びました。
『「そら、貴様にこれをやる。貴様とおれの足は同じ大きさだ」
すると、 いかにも町のアンチャンといった感じの片桐一飛曹は、顔いろ変えてこれを拒んだ。
「頂けません。隊長のくつは底がバクバクであります。隊長は出撃される・・・・いりません」
西田中尉は傍に私がいたのでニヤニヤした。
「遠慮するな。貴様が新しいマフラーと新しいくつで闊歩してみたいのをよく知っているぞ」
そういってから「命令だ。受取れ。おれはな、くつで戦うのでは無いッ」』
片桐1飛曹は無理矢理ピカピカの飛行靴を受け取らされてしまいました。
西田中尉はバクバクの飛行靴のまま出撃していき・・・・。
あろうことか、その翌々日に、何も知らないかれの母親と妹さん(あるいは婚約者)らしき女性2人が鹿屋に面会にやってきた・・・・。
「破れた飛行グツ」・・・・これは西田中尉のエピソードです。
「破れた飛行グツ」・・・・この話は「西田中尉の霊」と書かれた祭壇の前に女性2人を案内してしまって動揺する山岡さんが、若い娘さんの方から、
「お母さんは字が読めません」
とこっそり聞かされたところで終わっています。
(のちに、お母さんが西田中尉の戦死に気づいていたことがわかる)
しかし、もらった側、「ピカピカの飛行グツ」には続きがあります。
神雷の隊員たちは宿舎のある野里村から外に出ることを禁じられていました。
しかし、かれらは時々こっそりと鹿屋の町に遊びに行っていました。いわゆる「脱(ダツ)」と呼ばれる違法行為です。
山岡さんはそれを見て、
「あれだけ立派に死んでゆく人々に、軍規を犯したという一点のかげりをも心に止めさせてはならない」
と思い、かれらが堂々と町に遊びに行けるように、司令の岡村基春大佐に進言しました。
司令はそのことをすぐに許可してくれたそうです。
もちろん、これは脱走者が出ないという前提。
ところが、山岡さんが肝を冷すような出来事が起こりました。
6月22日午前3時ごろ。
特攻出撃を前に整列してみたところ、隊員が一人足りません。
西田中尉にピカピカの飛行靴をもらった片桐清美1飛曹がいないのです。かれは、今日出撃の桜花搭乗員の一人でした。
山岡さんの回想。
『「おれはここではちょっとした不良さ」そんなことを いい、飛行服の裏に「三途の橋でおけさ踊らん」などと書付けている彼だった。もしかしたら、自分の最後のだて姿を町の女にでも見せに行って、死ぬのがいやになったのでは・・・・』
かれらが堂々と町に遊びに行けるよう司令に進言したのは山岡さんでした。
山岡さんも責任を感じ、必死で片桐兵曹を捜し回りました。
しかし、時間切れ・・・・。
「よし! 代わりを起こせ」
無情にも、急遽、片桐兵曹の代役が立てられることになったのです。
山岡さんは「Nという少年兵」と書いていますが、神坂次郎『特攻 還らざる若者たちの鎮魂歌』によるとこれは小城久作上飛曹(丙11期と書いてあるが、丙10期)。
小城兵曹の回想。
『宿舎で頭から毛布をかぶって寝ていると、急に誰かに毛布をはぎとられ顔の真上から懐中電灯で照らされました。驚いて見上げると「小城、いまから出撃してくれ、片桐がいないのだ。代わりに君が出撃してくれ」という林大尉の声で夢から現実の世界につれ戻されました。身を半分起しながら「はっ」と答えたものの、出撃をする番でないので身のまわりの整理はしていない。 で、一言、林大尉に整理のしていないことを愚痴って身じたくを急いで朝食をとり、別盃の式が行われる広場に行くと、すでに山村、堀江、武井、勝村その他本日の出撃者全員が集まって私が着くのを待っていました。間もなく岡村司令の訓示、別れの言葉、別盃をかわし、再び戻ることのないこの世に別れを告げ、三途の川行きのトラックに乗り込み出発です』
山岡さんは小城兵曹が代役に仕立てられたのを見届けたあとも、まだ片桐兵曹を捜し続けていました。
おそらく自分のためというより、小城兵曹のため、片桐兵曹のため、他の隊員たちのため・・・・。
そして、いままで見なかった壕内入口右そでのわずかな空きベッドに、すっかり武装して桃色のマフラーを巻き、ピカピカの飛行グツを履いたままイビキをかいている片桐兵曹を見つけたのです。
『「あ、こんなところに・・・・おい、出番だぞ」
私が飛びつくようにして起すと、彼は 「あ・・・・」と小さく叫んで時計を見ると、私の方など見向きもせずにそのまま整列に加わった。それっきりだった・・・・』
小城兵曹の回想。
『その時です。乗り込もうと私が片足をトラックの荷台にかけ他の片足がまさに地上を離れようとした時、私の飛行服のバンドに誰か手を掛け、私を地上に引き降ろそうとするのです。振り向くと片桐清美兵曹です。 「小城、俺の番だ、俺の番だ」いうと片桐は荷台に飛び乗り、片手をあげバイバイをし、アカンベーをしました。片桐兵曹は三度出撃しましたが、天候不良、エンジン不調のため引き返していたのを無念に思い、「俺が死んだら三途の川原で 鬼を集めておけさ踊らん」と飛行服の背中に白ペンキで辞世を書いている猛者でした。彼を乗せたトラックは冥土行きの飛行機の待つ列線へと急行、三十分後に敵艦船を求めて飛立ち、ふたたび帰ることはありませんでした』
西田中尉にもらったピカピカの飛行グツ。
もらってから40日あまり。
ふつうに履いていればピカピカのままであるはずはありません。
中尉の形見・・・・と毎日磨き続けていたのか、この日のために履かずにとっておいたのか・・・・。
かれは中尉にもらったピカピカの飛行グツで、全速で駈けていったのです。
友を連れ戻すために。
自分の誇りを守るために。
片桐清美1飛曹

福岡県出身。大正11(1922)年生まれ。丙15期。
20年6月22日
第10神雷桜花特別攻撃隊
この日が最後の桜花攻撃になりました。
参考:文藝春秋編 協力・元神雷部隊戦友会有志『証言・桜花特攻 人間爆弾と呼ばれて』、 神坂次郎『特攻 還らざる若者たちへの鎮魂歌』
片桐兵曹の遺影はご遺族の方のご厚意で掲載させていただきました
神雷部隊第5筑波隊の西田高光中尉(大分・大分師範・予13期、20年5月11日特攻戦死)のエピソードです。
ご存じの方も多いと思いますが、かいつまんで紹介。
西田中尉の出撃二日前、新しい飛行靴が配給されました。
すぐに西田中尉は、しばらくあとに残ることになった部下の片桐1飛曹を呼びました。
『「そら、貴様にこれをやる。貴様とおれの足は同じ大きさだ」
すると、 いかにも町のアンチャンといった感じの片桐一飛曹は、顔いろ変えてこれを拒んだ。
「頂けません。隊長のくつは底がバクバクであります。隊長は出撃される・・・・いりません」
西田中尉は傍に私がいたのでニヤニヤした。
「遠慮するな。貴様が新しいマフラーと新しいくつで闊歩してみたいのをよく知っているぞ」
そういってから「命令だ。受取れ。おれはな、くつで戦うのでは無いッ」』
片桐1飛曹は無理矢理ピカピカの飛行靴を受け取らされてしまいました。
西田中尉はバクバクの飛行靴のまま出撃していき・・・・。
あろうことか、その翌々日に、何も知らないかれの母親と妹さん(あるいは婚約者)らしき女性2人が鹿屋に面会にやってきた・・・・。
「破れた飛行グツ」・・・・これは西田中尉のエピソードです。
「破れた飛行グツ」・・・・この話は「西田中尉の霊」と書かれた祭壇の前に女性2人を案内してしまって動揺する山岡さんが、若い娘さんの方から、
「お母さんは字が読めません」
とこっそり聞かされたところで終わっています。
(のちに、お母さんが西田中尉の戦死に気づいていたことがわかる)
しかし、もらった側、「ピカピカの飛行グツ」には続きがあります。
神雷の隊員たちは宿舎のある野里村から外に出ることを禁じられていました。
しかし、かれらは時々こっそりと鹿屋の町に遊びに行っていました。いわゆる「脱(ダツ)」と呼ばれる違法行為です。
山岡さんはそれを見て、
「あれだけ立派に死んでゆく人々に、軍規を犯したという一点のかげりをも心に止めさせてはならない」
と思い、かれらが堂々と町に遊びに行けるように、司令の岡村基春大佐に進言しました。
司令はそのことをすぐに許可してくれたそうです。
もちろん、これは脱走者が出ないという前提。
ところが、山岡さんが肝を冷すような出来事が起こりました。
6月22日午前3時ごろ。
特攻出撃を前に整列してみたところ、隊員が一人足りません。
西田中尉にピカピカの飛行靴をもらった片桐清美1飛曹がいないのです。かれは、今日出撃の桜花搭乗員の一人でした。
山岡さんの回想。
『「おれはここではちょっとした不良さ」そんなことを いい、飛行服の裏に「三途の橋でおけさ踊らん」などと書付けている彼だった。もしかしたら、自分の最後のだて姿を町の女にでも見せに行って、死ぬのがいやになったのでは・・・・』
かれらが堂々と町に遊びに行けるよう司令に進言したのは山岡さんでした。
山岡さんも責任を感じ、必死で片桐兵曹を捜し回りました。
しかし、時間切れ・・・・。
「よし! 代わりを起こせ」
無情にも、急遽、片桐兵曹の代役が立てられることになったのです。
山岡さんは「Nという少年兵」と書いていますが、神坂次郎『特攻 還らざる若者たちの鎮魂歌』によるとこれは小城久作上飛曹(丙11期と書いてあるが、丙10期)。
小城兵曹の回想。
『宿舎で頭から毛布をかぶって寝ていると、急に誰かに毛布をはぎとられ顔の真上から懐中電灯で照らされました。驚いて見上げると「小城、いまから出撃してくれ、片桐がいないのだ。代わりに君が出撃してくれ」という林大尉の声で夢から現実の世界につれ戻されました。身を半分起しながら「はっ」と答えたものの、出撃をする番でないので身のまわりの整理はしていない。 で、一言、林大尉に整理のしていないことを愚痴って身じたくを急いで朝食をとり、別盃の式が行われる広場に行くと、すでに山村、堀江、武井、勝村その他本日の出撃者全員が集まって私が着くのを待っていました。間もなく岡村司令の訓示、別れの言葉、別盃をかわし、再び戻ることのないこの世に別れを告げ、三途の川行きのトラックに乗り込み出発です』
山岡さんは小城兵曹が代役に仕立てられたのを見届けたあとも、まだ片桐兵曹を捜し続けていました。
おそらく自分のためというより、小城兵曹のため、片桐兵曹のため、他の隊員たちのため・・・・。
そして、いままで見なかった壕内入口右そでのわずかな空きベッドに、すっかり武装して桃色のマフラーを巻き、ピカピカの飛行グツを履いたままイビキをかいている片桐兵曹を見つけたのです。
『「あ、こんなところに・・・・おい、出番だぞ」
私が飛びつくようにして起すと、彼は 「あ・・・・」と小さく叫んで時計を見ると、私の方など見向きもせずにそのまま整列に加わった。それっきりだった・・・・』
小城兵曹の回想。
『その時です。乗り込もうと私が片足をトラックの荷台にかけ他の片足がまさに地上を離れようとした時、私の飛行服のバンドに誰か手を掛け、私を地上に引き降ろそうとするのです。振り向くと片桐清美兵曹です。 「小城、俺の番だ、俺の番だ」いうと片桐は荷台に飛び乗り、片手をあげバイバイをし、アカンベーをしました。片桐兵曹は三度出撃しましたが、天候不良、エンジン不調のため引き返していたのを無念に思い、「俺が死んだら三途の川原で 鬼を集めておけさ踊らん」と飛行服の背中に白ペンキで辞世を書いている猛者でした。彼を乗せたトラックは冥土行きの飛行機の待つ列線へと急行、三十分後に敵艦船を求めて飛立ち、ふたたび帰ることはありませんでした』
西田中尉にもらったピカピカの飛行グツ。
もらってから40日あまり。
ふつうに履いていればピカピカのままであるはずはありません。
中尉の形見・・・・と毎日磨き続けていたのか、この日のために履かずにとっておいたのか・・・・。
かれは中尉にもらったピカピカの飛行グツで、全速で駈けていったのです。
友を連れ戻すために。
自分の誇りを守るために。
片桐清美1飛曹

福岡県出身。大正11(1922)年生まれ。丙15期。
第10神雷桜花特別攻撃隊
この日が最後の桜花攻撃になりました。
参考:文藝春秋編 協力・元神雷部隊戦友会有志『証言・桜花特攻 人間爆弾と呼ばれて』、 神坂次郎『特攻 還らざる若者たちへの鎮魂歌』
片桐兵曹の遺影はご遺族の方のご厚意で掲載させていただきました