台南空における西澤1飛曹のポジション ― 2009年08月12日 00時00分58秒
前回の「笹井中隊の研究」で、「西澤廣義1飛曹は笹井中隊員とはいえないのでは」という結論に達したわけですが。
じゃあ、台南空の中での西澤さんは一体どういうポジションだったのだ!?と気になったのはママだけではないでしょう。
はい、さっそく調べてみました。
中隊編制の出撃35回
第1中隊第1小隊2番機(つまり指揮官の護衛)・・・・10回
【指揮官】
中島 正少佐・・・・3回
山下政雄大尉・・・・3回
河合四郎大尉・・・・2回
笹井醇一中尉・・・・1回
林谷 忠中尉・・・・1回
第1中隊の小隊長・・・・18回
【指揮官】
中島 正少佐・・・・1回
山下政雄大尉・・・・2回
河合四郎大尉・・・・7回
山下丈二大尉・・・・6回
林谷 忠中尉・・・・1回
半田亘飛曹長・・・・1回
その他の中隊の第1小隊2番機・・・・3回
【小隊長】
笹井醇一中尉・・・・3回
その他の中隊の小隊長・・・・2回
【中隊指揮】
河合四郎大尉・・・・2回
その他の中隊長・・・・1回
二空の誰か(すいません(^_^)ゞ 調べていません)が率いるガ島攻撃隊直掩隊の、第2中隊長。
中隊指揮官以外の小隊長列機・・・・1回
山下丈二大尉指揮中隊、第2小隊長・林谷中尉の2番機
笹井中尉の2番機として出撃しているのはいずれも5月。それ以降はまったくなし。よって、西澤さんは「笹井中隊メンバー」としては甚だ怪しい、と前回判断しました。
坂井さんが常に笹井中隊の小隊長として出撃しているのに比べると、特に誰中隊の固定メンバーというわけではなさそう。
あえて、「○○中隊の一員」ということにするとすれば、「河合中隊」(中隊員としての出撃11回)といったところでしょうか。
森史朗『攻防 ラバウル航空隊 発進篇』によると、石川清治兵曹が手記に記しているらしいのですが(わたしはこの手記、読んでいない)、それをまじえ以下のように紹介してあります。
『四空時代の分隊長河合四郎大尉がつねに二番機として西澤一飛曹を指名した。進出当時のラバウルは、まだポートモレスビーからの反撃も充分でなく、一晩おきに飛行艇が単機で飛来して爆弾を落として逃げていくという按配で、これを名づけて「当直非番」を呼んでいた。
邀撃戦では、「私を、私を!」と黒板の前でベテラン組が気を逸って手をあげるのを、河合大尉が手で制し、まず自分の名の河の字を丸で囲み、次に西の字を書いた。いつも判で押したように同じであった。若年ながら、頼もしい二番機であったのだろう。
最前線でありながら、聴音機もなければ、探照灯も照射しない。レーダーなどはもちろんなく、内地の飛行場で夜間飛行をはじめたような呑気さ―とある。
台南空本隊がたどりつく前に、主役はこの少年飛行兵あがりの二十四歳の青年がつとめた。ブナカナウの西飛行場には元山空の一式陸攻、四空の九六陸攻両部隊が進出し、ポートモレスビーへの攻撃をくり返していたが、その直掩隊の中心がいつも河合大尉、西澤一飛曹であった』
ちょっと訂正。
西澤さんは大正9(1920)年1月27日生まれなので、四空時代(昭和17年2~3月)は24歳ではなく22歳になったばかりです。「若年」ってのもどうかな?という微妙な年齢です(^_^;)
↑このヒゲには、若年の初々しさは感じられません(笑)。
行動調書上では、河合大尉と西澤さんが一緒に行動したのは2月3日(千歳空時代)、夜間、ラバウルに来襲した敵機5機に対して一緒に邀撃に上がり、西澤さんのほうが敵機1機を撃墜したようになっています。
行動調書に記録はなくても、千歳空、四空時代からの誼で、河合大尉は西澤さんを信頼し、重用していたものと思われます。
しかし、そんな河合大尉ですら、台南空時代は西澤さんの「独り占め」はできなかった・・・・と。
まとめ!!
どんな指揮官にも愛される優秀な戦闘機乗り・西澤さん!!ヘ(^^ヘ)(ノ^^)ノ
じゃあ、台南空の中での西澤さんは一体どういうポジションだったのだ!?と気になったのはママだけではないでしょう。
はい、さっそく調べてみました。
中隊編制の出撃35回
第1中隊第1小隊2番機(つまり指揮官の護衛)・・・・10回
【指揮官】
中島 正少佐・・・・3回
山下政雄大尉・・・・3回
河合四郎大尉・・・・2回
笹井醇一中尉・・・・1回
林谷 忠中尉・・・・1回
第1中隊の小隊長・・・・18回
【指揮官】
中島 正少佐・・・・1回
山下政雄大尉・・・・2回
河合四郎大尉・・・・7回
山下丈二大尉・・・・6回
林谷 忠中尉・・・・1回
半田亘飛曹長・・・・1回
その他の中隊の第1小隊2番機・・・・3回
【小隊長】
笹井醇一中尉・・・・3回
その他の中隊の小隊長・・・・2回
【中隊指揮】
河合四郎大尉・・・・2回
その他の中隊長・・・・1回
二空の誰か(すいません(^_^)ゞ 調べていません)が率いるガ島攻撃隊直掩隊の、第2中隊長。
中隊指揮官以外の小隊長列機・・・・1回
山下丈二大尉指揮中隊、第2小隊長・林谷中尉の2番機
笹井中尉の2番機として出撃しているのはいずれも5月。それ以降はまったくなし。よって、西澤さんは「笹井中隊メンバー」としては甚だ怪しい、と前回判断しました。
坂井さんが常に笹井中隊の小隊長として出撃しているのに比べると、特に誰中隊の固定メンバーというわけではなさそう。
あえて、「○○中隊の一員」ということにするとすれば、「河合中隊」(中隊員としての出撃11回)といったところでしょうか。
森史朗『攻防 ラバウル航空隊 発進篇』によると、石川清治兵曹が手記に記しているらしいのですが(わたしはこの手記、読んでいない)、それをまじえ以下のように紹介してあります。
『四空時代の分隊長河合四郎大尉がつねに二番機として西澤一飛曹を指名した。進出当時のラバウルは、まだポートモレスビーからの反撃も充分でなく、一晩おきに飛行艇が単機で飛来して爆弾を落として逃げていくという按配で、これを名づけて「当直非番」を呼んでいた。
邀撃戦では、「私を、私を!」と黒板の前でベテラン組が気を逸って手をあげるのを、河合大尉が手で制し、まず自分の名の河の字を丸で囲み、次に西の字を書いた。いつも判で押したように同じであった。若年ながら、頼もしい二番機であったのだろう。
最前線でありながら、聴音機もなければ、探照灯も照射しない。レーダーなどはもちろんなく、内地の飛行場で夜間飛行をはじめたような呑気さ―とある。
台南空本隊がたどりつく前に、主役はこの少年飛行兵あがりの二十四歳の青年がつとめた。ブナカナウの西飛行場には元山空の一式陸攻、四空の九六陸攻両部隊が進出し、ポートモレスビーへの攻撃をくり返していたが、その直掩隊の中心がいつも河合大尉、西澤一飛曹であった』
ちょっと訂正。
西澤さんは大正9(1920)年1月27日生まれなので、四空時代(昭和17年2~3月)は24歳ではなく22歳になったばかりです。「若年」ってのもどうかな?という微妙な年齢です(^_^;)
↑このヒゲには、若年の初々しさは感じられません(笑)。
行動調書上では、河合大尉と西澤さんが一緒に行動したのは2月3日(千歳空時代)、夜間、ラバウルに来襲した敵機5機に対して一緒に邀撃に上がり、西澤さんのほうが敵機1機を撃墜したようになっています。
行動調書に記録はなくても、千歳空、四空時代からの誼で、河合大尉は西澤さんを信頼し、重用していたものと思われます。
しかし、そんな河合大尉ですら、台南空時代は西澤さんの「独り占め」はできなかった・・・・と。
まとめ!!
どんな指揮官にも愛される優秀な戦闘機乗り・西澤さん!!ヘ(^^ヘ)(ノ^^)ノ
笹井中隊 ― 2009年08月12日 15時15分34秒
すいません、先日アップした笹井中隊の記事、削除しました。
ご意見をいただきまして。
「なるほど、そういうとらえ方もありかー」
と思ったので、削除しました。
コメントいただいたみなさん、申し訳ないです。
(削除、といっても非公開にしただけで、いただいたコメントはちゃんと大事にとってありますので)
ご意見をいただきまして。
「なるほど、そういうとらえ方もありかー」
と思ったので、削除しました。
コメントいただいたみなさん、申し訳ないです。
(削除、といっても非公開にしただけで、いただいたコメントはちゃんと大事にとってありますので)
家電量販店にて ― 2009年08月12日 22時26分58秒
最近ブログに来られるようになった方はご存じないかもしれませんが、このブログ、以前はカテゴリーを設けてもいいぐらいママの肥満ネタが頻繁に登場していました。
美少女春海のママだから、きっとママさんは絶世の美女に違いない、と思いこんでおられる方の夢を壊してしまうので、最近は封印していたのですが・・・・。
昨日、夜、家電量販店に行きました。
目的はPCのハードディスクとキーボード。
ハードディスクはちょっと危険な状態・・・・。
昔からファンがうるさかったのですが、最近は掃除機みたいな爆音がするようになってきました。顔の横で爆発するんじゃないかとドキドキしながら使っています。
キーボードは引っかかって押せないキーが出てき始めたから。
結論から言うと、ハードディスクはいいのがなかったらしく、キーボードだけ買って帰ってきました。
パパがハードディスクやキーボードを選んでいる間、ママと春海はマッサージ器お試しコーナーに。
子どもはマッサージチェア、ダメなんですよね。
なので、春海はママの横でジョーバに乗って遊んでいたのですが。
チェアに飽きたので、ママもジョーバに移動しました。
最近のジョーバ、すごいですねー。
液晶画面がついていて、そこに自分の体重を入力したらジョーバ後に消費カロリーを表示してくれるらしいのです。
どれどれ、「○キロ」とちょっと割り引いて入力。
ゆっさゆっさ・・・・と3分間揺られたあと消費カロリー「5キロカロリー」と表示が出ました。
「ちっ! 煮卵入り塩とんこつラーメンに餃子、おにぎりを食べてきたのに、5キロカロリーって何だよー(-.-#)」
と、すぐにジョーバをやめて、炊飯器売り場に行ってウロウロしていました。
しばらくして、ジョーバのところから春海の声が。
「ええっーーーー! はーちゃんの体重○キロやってーー!!」
見ると、いままでママが乗っていた馬に春海が乗っている・・・・。
ゲゲッ!
ママ、自分が入力した(控えめの)体重をクリアしてくるのを忘れていたーーーー!!!!
恥ずかしいので知らん顔を決め込んでいたのですが、ジョーバし終わったあとはパパのところに飛んでいって、
「パパー、はーちゃん、体重○キロだったよーー!」
と何度も連呼。
レジに行くまで「はーちゃんの体重○キロ」と大声で言っていました。
あー恥ずかしい。
美少女春海のママだから、きっとママさんは絶世の美女に違いない、と思いこんでおられる方の夢を壊してしまうので、最近は封印していたのですが・・・・。
昨日、夜、家電量販店に行きました。
目的はPCのハードディスクとキーボード。
ハードディスクはちょっと危険な状態・・・・。
昔からファンがうるさかったのですが、最近は掃除機みたいな爆音がするようになってきました。顔の横で爆発するんじゃないかとドキドキしながら使っています。
キーボードは引っかかって押せないキーが出てき始めたから。
結論から言うと、ハードディスクはいいのがなかったらしく、キーボードだけ買って帰ってきました。
パパがハードディスクやキーボードを選んでいる間、ママと春海はマッサージ器お試しコーナーに。
子どもはマッサージチェア、ダメなんですよね。
なので、春海はママの横でジョーバに乗って遊んでいたのですが。
チェアに飽きたので、ママもジョーバに移動しました。
最近のジョーバ、すごいですねー。
液晶画面がついていて、そこに自分の体重を入力したらジョーバ後に消費カロリーを表示してくれるらしいのです。
どれどれ、「○キロ」とちょっと割り引いて入力。
ゆっさゆっさ・・・・と3分間揺られたあと消費カロリー「5キロカロリー」と表示が出ました。
「ちっ! 煮卵入り塩とんこつラーメンに餃子、おにぎりを食べてきたのに、5キロカロリーって何だよー(-.-#)」
と、すぐにジョーバをやめて、炊飯器売り場に行ってウロウロしていました。
しばらくして、ジョーバのところから春海の声が。
「ええっーーーー! はーちゃんの体重○キロやってーー!!」
見ると、いままでママが乗っていた馬に春海が乗っている・・・・。
ゲゲッ!
ママ、自分が入力した(控えめの)体重をクリアしてくるのを忘れていたーーーー!!!!
恥ずかしいので知らん顔を決め込んでいたのですが、ジョーバし終わったあとはパパのところに飛んでいって、
「パパー、はーちゃん、体重○キロだったよーー!」
と何度も連呼。
レジに行くまで「はーちゃんの体重○キロ」と大声で言っていました。
あー恥ずかしい。