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西澤さんの女性関係2009年04月09日 12時17分30秒

西澤飛曹長
さーて、いよいよ、この話題ですよ!
(って、興奮しているのはママだけか?)

西澤さんは19年10月26日に24歳9ヶ月で戦死されたとき、独身でした。

准士官である飛曹長には前年の11月進級。
基地外に家庭を持つことも許されている身分で、お相手がいるのであれば、結婚に踏み切ってもよい状態でした。

でも、独身のままだった・・・・。

お相手は・・・・。
「いた」という説があります。

武田信行『最強撃墜王』のあとがきや、高城肇『雲の群像』の中に、1枚の写真のことが出ています。
士官服に士官帽姿(1種軍装かな?)の西澤さんが、西澤家ではない家族らしい集団と一緒に写っている写真らしいのです。

たぶん、(出版物などの)世間には公表されていない写真で、それぞれの本の著者は、西澤さんのご遺族からこの写真を見せてもらったようです。

この写真の中に1人の若い女性が写っていて、どうも、その方が西澤さんの恋人ではないか、と。

西澤さんのご遺族の話では、写真の一家は、ある温泉地の歯医者さん一家で、西澤さんはここに下宿されていたのだとか。

搭乗員と下宿先のお嬢さん・・・・。うん? どっかで聞いたような・・・・?
いや、まあ、いい。今日はそれは横に置いておいて・・・・。

西澤さんはいったいいつ、このお宅に下宿していたのでしょうか。
『最強撃墜王』はフィクションかノンフィクションかいまいちよくわからない読み物ですが、それによると、このご一家と縁ができたのは予科練時代。
ということはですよ、6、7年お付き合いされていたのではないか、ということになります。

結婚適齢期のお嬢さんと6、7年も交際していたら(しかも向こうは家族ぐるみ!)、もう、あとは「お嬢さんをください」しか残された道はないはず。

ここで、唐突に坂井さんの気になる証言登場!
こちらはたしかにノンフィクションに違いない7期雄飛会『予科練のつばさ』。
ここに伊沢さんという同期生が書いた「同期生エース西澤の風貌」という文章が収められています。伊沢さんはその中で、ラバウルで同僚だった坂井さんの文章を引用しています。
言っときますが、あくまでも、これは坂井さんの証言ですよ!

『西沢については、海軍に入ってからの、特に同期生の中での西沢評は複雑であり、あまり芳しくないのはどうしたことであろうか。認められる人間西沢の性格は、孤独型で協調性に乏しく、口数少なく強情で狷介な一面があり、上官に対しても一言チクリ型で、どう見ても一般に好かれるタイプではなかった・・・・』

坂井さん!! そこまで言わんでもっ!!(>_<)

あ、別にママは西澤さんが性格に問題を抱えていたから結婚できなかったと言いたいわけではないのです。
問題の箇所はこの後に出てきます。

『軍務をはなれての隊外の行動においても、実に迷い多い人物と言われている』

これです、これ!
軍務をはなれての隊外の行動?
いったい何を指しているのかさっぱりわかりません。
でも、
「実家に帰省するのにおみやげ、何にしようかなあ・・・・」
とおみやげ屋の前で半日悩んだとか、休暇の日に基地外の食堂で、
「どれにしようかなあ・・・・うどんにしようか、そばにしようか・・・・・」
と閉店まで悩んだとか、そんなことじゃあ、ないでしょう。

ずばり、ママ妄想では、何の根拠もなく「女性関係」。
長年交際状態にあった例の女性と結婚に踏み切れなかったことをさして、坂井さんは婉曲にこう言っているのではないのか、と想像。

じゃあどうして西澤さんは彼女と結婚しなかったのか。

残念ながら、明確にその理由がわかる資料&証言は存在しませんが、たぶん、「これ」じゃないかと思うことはママにも心当たりがあります。
ラバウルで偶然再会した予科練時代の恩師に語った言葉。
「戦地では、親のことも考えませんね。本当に悪いと思いますが・・・・。考えることは、敵のこと、飛行機のことだけです」
西澤さんは決して恩師を前にいいかっこをしたわけではありません。
本当にこの人の生活は、空戦第一、飛行機第一なのです。
自分の欲求をすべて抑え込んで、普段の生活をどうすればいいか、どういうコンディションで空戦に臨めばいいか、そういうことばっかり考えているようです。

アメリカとの戦争が始まってから、戦地にいることが多かった西澤さんですが、ある程度まとまった期間、内地にとどまっていた時期もありました。

台南空が251空に編成替えされて、豊橋で錬成していた時期(17年11月頃~18年4月頃)。
大分空で教官をやっていたといわれている時期と次の任地・厚木時代(18年11月頃~19年4月頃)。

「戦地では親のことすら考えない」という西澤さんでも、内地にいるときは、ときには娑婆の空気に触れたくなることもあったでしょう。
結婚するなら、すでに飛曹長になっていた大分時代+厚木時代がチャンスだったはずなのですが、残念ながら踏み切れなかったよう・・・・。

西澤さんの中で、家庭と戦争の両立(?)が、どうしても見込みが立たなかったのでしょうか。

そして、西澤さんは独身のまま比島で戦死してしまいます。

その後、その女性はどうなったのでしょう・・・・。
『最強撃墜王』や『雲の群像』に紹介されている西澤さんのご遺族の話では、戦後、西澤さんの33回忌に西澤家を訪ねてきた独身女性がおられたそうで、それがあの写真の女性だったそうです。

またまた検索ネタ(o^^o)18禁!!2009年04月09日 20時22分56秒

ママのこの過疎ブログが検索で引っかかるようになって、はや数ヶ月が過ぎました。

以前から書いておりますように、ママは検索できてくださった方がいったいどんなワードでこのブログにたどり着いたのかとっても興味があり、裏でそれを覗いて、1人でイヒヒッと楽しんでいるわけです。

数日前、いつものごとく検索フレーズをチェックしておりました。
「どれどれ・・・・今日は・・・・」

ぎぇっ!!
な、なんだ、これは!?(・_・)

そこには目を疑うような検索フレーズが。

その方はおそらくもう2度と来られないと思うので、公開しちゃいますが、
「プールのコーチのおっぱい」
という検索フレーズでママのブログを見に来た人が・・・・。

ええっーーー!?
ママ、シノ先生とたかだ先生のおっぱいをネタにして話を書いたことなんかないよなーーーー????
ええっ???

ゾゾゾッ・・・・てやつですよ。
先生方にしばかれるーーーーー(>_<)

ええっ?
何を書いたっけ????

生きた心地もしないまま、ママも同じワードで検索をかけてみました。

すると、引っかかったのは、若旦那コーチ(♂)のぷるぷるおっぱいをネタにしたときの話。

「ああっ! これか(^O^)」

とたんに安心。

まさか、男コーチのおっぱいのことをネタに記事を書いているブログなどあるはずがないと思って見に来られたのでしょう、ごめんなさいね(^_^;)。
「プールのコーチのおっぱい」が男性だと知って、さぞがっかりされたことでしょう。

みなさん、このフレーズで絶対に、絶対に、検索しないでくださいね!!
エロエロ系の記事しか引っかかってこないですよ!