神童春海 ― 2009年02月17日 12時04分15秒
(注:本日の画像と本文は何の関係もございません)
親のわたしから見ても、多少脳が弱い感のある愛娘・春海ですが、こんな春海にも周囲から、
「神童では!?」
と言われていた時代がありました・・・・(ああ・・・・(T_T)懐かしい・・・・)。
幼稚園に入る前、1年間ほどです(ほぼ2歳時代と考えていただいて結構です)。
ことばも遅く、しゃべりだしたらしゃべりだしたで中々発音がうまくいかず(いまもです)、いつまでも赤ちゃんみたいだった春海。
記憶力もびっくりするぐらいなく、仮に憶えられたとしても一瞬で忘れてしまいます。
こんな春海に、2歳の時、俳句の本を買ってあげて読み聞かせていました。
1句も憶えられないと思っていたのですが、アラ不思議、その本の俳句、ほとんど憶えてしまいました。幼児用の絵本なので、句数は少ないのですが、
「柿食えば」
とこちらが言えば、
「かねがなるなりほうりゅうじ」
と答えられるようになりました。
おおっ! びっくり仰天!
バカ親のママは喜んだあまり、春海を自転車の後ろに積んで、法隆寺まで出かけていったことさえありました。
「はーちゃん、よく見て! これが『鐘が鳴るなり』の法隆寺だよ~」
「わーい(^O^)」
て感じでしょうか。
現実問題、あそこは自転車で行くようなところではありません。もちろん、あれから二度と行っていません。
まあ、そんなこんなで、春海が神童だと判明したいま、これを秘密にしておくことはない、と、ばあばから電話がかかってくれば、
「はーちゃん、ばあばに俳句教えてあげ」
と催促し、シノ先生の家に行けば、
「春海、俳句を憶えているんですよー」
とシノ先生一家の前で披露させてみたり、もう、ママ、有頂天状態になっていました。
「よっしゃ! 次は百人一首やっ!!」
とママは鼻息を荒くしました。
ところが、この春海の神童時代、そう長くは続きませんでした。
幼稚園に入園した途端、せっかく憶えていた俳句をスッカラカンに忘れてしまったのです。
どうやら、新しい幼稚園生活で憶えないといけないことが多すぎて、記憶容量がついていかなかったようなのです。先生のお名前とか、習ってくる歌とか、お祈りのことばとか・・・・。
凡人以下に成り下がってしまった春海。
買い物途中で声をかけてきたお友だちの名前を聞いても、
「えーっとねえ、えーっとねえ・・・・あれは・・・・忘れちゃった(^_^)ゞ」
てのが毎度のことです。
年長時代は1学期の終わりに担任の名前を憶えていませんでした。
小学校に入っても相変わらずあやしい記憶力で、「昨日」「明日」、「朝」「昼」「晩」の区別がついていない様子です。
つい先日、プールの帰り、どこからともなく鐘の音が聞こえてきたら、
「柿食えば 鐘が鳴るなり 東大寺」
とオリジナル俳句を吟じておりました。寺だったら何でもいいってわけじゃねーんだよ(-_-)
(鳴っていたのは東大寺の鐘ではありません)
ところが最近、これはママでも真似できない、という神童の片鱗を再び見せ始めました。
音読。
国語の教科書を毎日声を出して読むのですが、春海、教科書を見ません。どんなに長くても、暗記して読んでいます。これはすごい。
持ち物の由来。
春海はぬいぐるみやおもちゃを多量に持っていて、ちゃんと管理できない散らかし大王ですが、それぞれの持ち物の由来に関しては嘘みたいに憶えています。
「はーちゃん、これ、どうしたん?」
「それはじいじが来た時に買ってくれたヤツ」
「はーちゃん、こんなん、いつ買ったっけ?」
「それは本屋でもらった付録についていたヤツ」
「はーちゃん、これは?」
「東京でばあばに買ってもらった」
「これは?」
「パパがUFOキャッチャーでとってくれた」
って感じで、こちらがすでに忘れてしまっているようなことまで憶えています。言われてみたら、ああ、そうやった、とわたしも思い出すのですが。
なんか、脳に異常があるんかねえ?
親のわたしから見ても、多少脳が弱い感のある愛娘・春海ですが、こんな春海にも周囲から、
「神童では!?」
と言われていた時代がありました・・・・(ああ・・・・(T_T)懐かしい・・・・)。
幼稚園に入る前、1年間ほどです(ほぼ2歳時代と考えていただいて結構です)。
ことばも遅く、しゃべりだしたらしゃべりだしたで中々発音がうまくいかず(いまもです)、いつまでも赤ちゃんみたいだった春海。
記憶力もびっくりするぐらいなく、仮に憶えられたとしても一瞬で忘れてしまいます。
こんな春海に、2歳の時、俳句の本を買ってあげて読み聞かせていました。
1句も憶えられないと思っていたのですが、アラ不思議、その本の俳句、ほとんど憶えてしまいました。幼児用の絵本なので、句数は少ないのですが、
「柿食えば」
とこちらが言えば、
「かねがなるなりほうりゅうじ」
と答えられるようになりました。
おおっ! びっくり仰天!
バカ親のママは喜んだあまり、春海を自転車の後ろに積んで、法隆寺まで出かけていったことさえありました。
「はーちゃん、よく見て! これが『鐘が鳴るなり』の法隆寺だよ~」
「わーい(^O^)」
て感じでしょうか。
現実問題、あそこは自転車で行くようなところではありません。もちろん、あれから二度と行っていません。
まあ、そんなこんなで、春海が神童だと判明したいま、これを秘密にしておくことはない、と、ばあばから電話がかかってくれば、
「はーちゃん、ばあばに俳句教えてあげ」
と催促し、シノ先生の家に行けば、
「春海、俳句を憶えているんですよー」
とシノ先生一家の前で披露させてみたり、もう、ママ、有頂天状態になっていました。
「よっしゃ! 次は百人一首やっ!!」
とママは鼻息を荒くしました。
ところが、この春海の神童時代、そう長くは続きませんでした。
幼稚園に入園した途端、せっかく憶えていた俳句をスッカラカンに忘れてしまったのです。
どうやら、新しい幼稚園生活で憶えないといけないことが多すぎて、記憶容量がついていかなかったようなのです。先生のお名前とか、習ってくる歌とか、お祈りのことばとか・・・・。
凡人以下に成り下がってしまった春海。
買い物途中で声をかけてきたお友だちの名前を聞いても、
「えーっとねえ、えーっとねえ・・・・あれは・・・・忘れちゃった(^_^)ゞ」
てのが毎度のことです。
年長時代は1学期の終わりに担任の名前を憶えていませんでした。
小学校に入っても相変わらずあやしい記憶力で、「昨日」「明日」、「朝」「昼」「晩」の区別がついていない様子です。
つい先日、プールの帰り、どこからともなく鐘の音が聞こえてきたら、
「柿食えば 鐘が鳴るなり 東大寺」
とオリジナル俳句を吟じておりました。寺だったら何でもいいってわけじゃねーんだよ(-_-)
(鳴っていたのは東大寺の鐘ではありません)
ところが最近、これはママでも真似できない、という神童の片鱗を再び見せ始めました。
音読。
国語の教科書を毎日声を出して読むのですが、春海、教科書を見ません。どんなに長くても、暗記して読んでいます。これはすごい。
持ち物の由来。
春海はぬいぐるみやおもちゃを多量に持っていて、ちゃんと管理できない散らかし大王ですが、それぞれの持ち物の由来に関しては嘘みたいに憶えています。
「はーちゃん、これ、どうしたん?」
「それはじいじが来た時に買ってくれたヤツ」
「はーちゃん、こんなん、いつ買ったっけ?」
「それは本屋でもらった付録についていたヤツ」
「はーちゃん、これは?」
「東京でばあばに買ってもらった」
「これは?」
「パパがUFOキャッチャーでとってくれた」
って感じで、こちらがすでに忘れてしまっているようなことまで憶えています。言われてみたら、ああ、そうやった、とわたしも思い出すのですが。
なんか、脳に異常があるんかねえ?
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