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流星2009年01月09日 13時11分50秒

ベテラン艦爆兄ちゃん小瀬本國雄さんの『激闘艦爆隊』、読み終わりました。

小瀬やん、もともと艦爆乗りで、99艦爆、彗星艦爆に乗って戦っていたのですが、本土防空戦においては乗機を流星(改?)に変え、木更津基地の攻撃第5飛行隊(K5)で終戦まで戦い続けます。

流星という飛行機は、雷撃も爆撃もできる兼用機です。翼が「へ」をひっくり返したような特徴のある形をしています。

終戦の頃には飛曹長になっていた小瀬やんにも特攻命令が下されました。
8月14日。
攻撃待機を解いて、宿舎に帰ろうとしていたところを、隊長に呼び止められます。
「明15日午前10時、敵機動部隊に対し、特攻攻撃を決行してもらいたい」

小瀬本機の機長である偵察員の山木中尉はいつもと変わらぬ表情で、
「承知しました」

そこで、1番機小瀬本國雄飛曹長(操)・山木勲中尉(偵)、2番機縄田准二1飛曹(操)・中内理1飛曹(偵)の2機が第7御楯隊第4次流星隊として編成されました。

小瀬やんのようなベテランでも、なかなか眠れないまま翌朝を迎えてしまったそうです。
(小瀬やんには恋人がいたような・・・・)

15日、10時50分、離陸。
2機は敵機動部隊目指して南東方向に向かいました。

小瀬本機、途中で脚故障。
脚の収納ができなくなってしまったのです。脚が出たままだと、スピードが出ません。
機長の山木中尉と相談して、いったん、2機揃って基地に引き返そう、ということになりました。

小瀬やんは列機の操縦、縄田兵曹に引き返しの合図を送ります。
「了解」
と応じてきたので、小瀬本機は反転します。
そして、振り返ってみて驚きました。引き返しを了解したはずの列機の姿がなかったのです。
縄田機はそのまま敵機動部隊を目指して行ってしまったのです。

小瀬やんは、合図を見間違えるはずはない、と言っています。
なら、確信的に、命令違反をして行ってしまった、ということです。
「にっくきアメ公をおれの手で沈めてやる!」
と怒りに燃えて向かっていったのか、それとも、
「いま、戻っても、遠からずまた行かされる・・・・なら、いっそ、もう、今日・・・・」
そう思って、引き返さなかったのか・・・・。
縄田兵曹、中内兵曹ともに戻らなかったので、いまとなってはかれらの気持ちはもうわかりません。

脚故障でスピードのでない小瀬本機は追いかけていくこともできず、単機、木更津に戻ってきてしまいました。

そして、1時間もしないうちに玉音放送を聞くことになったのです。

「縄田よ、中内よ、許せ・・・・」
小瀬やんは胸も張り裂けんばかりだったでしょう。
特に縄田兵曹は、宇佐空の教員時代、小瀬やん自らが手をとって教えた教え子でもありました。

玉音放送の2時間前に特攻出撃させる・・・・。
隊の上層部は知らなかったのでしょうか?
かれらが突入する頃には戦争が終わる、ということを知らなかったのでしょうか。

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