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伊藤正敬(まさよし)大尉2008年08月29日 05時27分28秒

伊藤正敬氏提供
階級は終戦時、写真は少尉時代

大正12年(1923)広島生まれ。東京・攻玉社中学出身。海兵72期。
海兵卒業後、戦艦「山城」(実習)、航空母艦「隼鷹」、重巡「羽黒」、駆逐艦「楓」、終戦。

戦後、一時、海を離れられ悶々とされたようですが、お父さんもお兄さんも海軍士官、呉、佐世保、横須賀で育った伊藤さん。やはり生まれながらの海の男だったのでしょうか、奥様のご実家の清涼飲料水製造販売を手伝っておられたそうですが、どうしてももう一度海で働きたい気持ちに駆られ、家族の反対を押し切って海上自衛隊に入隊され、落ち着かれてから奥様を無事呼び寄せられたということです。
防大教官、護衛艦艦長、司令などを歴任され、昭和53年(1978)海上自衛隊退職。
平成2年(1990)まで国士舘大学勤務。

↑あれ? ママがめずらしく艦隊勤務の海軍さんのことを書いている、と思われる方もいるかもしれません。
タイトルには終戦時の階級で書いていますが、時々コメントを下さる伊藤正敬さんのことです。

上に経歴を簡単に紹介しましたが、伊藤さんの場合、現在の活動を紹介したくて書いているので、ずいぶん端折ってしまいました、失礼しました。

伊藤さんは、海軍兵学校72期・海軍機関学校53期・海軍経理学校33期の同期の会「なにわ会」の会報の編集を担当されています。
と同時に、なにわ会のホームページ、なにわ会のブログを開設し、若くして戦死した同期生たちの事蹟を語り継いでいくとともに会員の情報交換の場の維持に努められています。

もちろん、そのどれも続けていくのはたいへんなことだと思うのですが、このなにわ会の活動、とってもすばらしいと思うのは、広く門戸を開放されていることです。
同期生のための会なので、同期生以外は立ち入り禁止になっていても不思議ではないのですが、なにわ会の場合、会員以外でも(ママみたいなただの海軍好きの主婦でも)、問い合わせをすれば親切に回答してくださいます。

現に、先日、「なにわ会のサイトに自分の戦死したお父さんのことが出ていた、その文章を書いた人と連絡を取りたい」という方からの問い合わせがあったそうです。残念ながら、その文章を書かれた方はもうお亡くなりになられていたそうなのですが、なにわ会のブログにそれが載ったところ、「その人のお父さん知っている」という会員の人たちから連絡が来て、直接その方と交流を持たれたということです。

感動しました。
戦後、ずっとわからなかったお父さんの戦死状況が、なにわ会のサイトの記事でわかったということ。同期生で戦記をまとめられたとしても、なかなかサイトで公開しているところまでないのではないでしょうか。
そして、60数年間、同じ日本にいながらまったく別々の場所で暮らしていて何の縁もなかった人が自分のお父さんのことを知っていて、それを語ってくれたこと。―なにわ会のサイトが取り持った縁です。

きっと日本にはたくさんそういう方たちがまだまだたくさんいるのだろうと思います。
戦死した夫の、父の、兄弟の、最期を知りたい人―。戦友の最期をご遺族に伝えたい人―。でも、出会えないままになっている・・・・。

伊藤さんが地道に続けられているHPやブログが、そのうちの一人の方の思いにこたえたのだと思うと、自分のことのように嬉しくなりました。
伊藤さんがHPやブログのお世話をされていなかったら、この邂逅はありえなかったですね。

伊藤さんはパソコンを嗜まれる以外にも、ゴルフ、スイミングも続けられています。
ご近所だったら、春海に海軍の泳ぎをご教授いただきたいところですが。

今日、8月29日は伊藤さんの85歳の誕生日です。
おめでとうございます。
これからもなにわ会の活動、陰ながら応援しています。

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