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菅野直大尉2008年08月01日 10時43分09秒

343-A-15号機と菅野直大尉(イメージ)
大正10年生まれ、宮城県角田中学出身。
海兵70期、飛行学生38期、戦闘機。
343空(初代)、201空戦闘306を経て、343空(2代、剣部隊)戦闘301飛行隊長。

やんちゃな人で、エピソードには事欠かない人です。
飛行学生時代、飛行機壊しの常習犯で、「デストロイヤー」として他隊にまでその名を轟かせていたとか。

上官でも気に入らないと平気でたてつくようなことろがあったみたいです。
前に、ここにK上飛曹が忠勇隊(彗星特攻)の突入を目の当たりにした時の感想を書きましたが、そのときK上飛曹ら直掩隊を率いていたのがこの菅野大尉でした。
凄まじい光景を目撃した後、直掩を終えてセブに着陸し、飛行長に戦果報告をした時、飛行長がその報告に不満を漏らしたとかで、カチンときた菅野大尉は怒りの余りに腰の拳銃に手が行き、暴発させてしまい、自分の足を負傷してしまったのだとか。
「現場を見てもいないくせに、何を言うか」
という気があったのでしょうか。

他にもいろいろエピソードのある人ですが、書ききれないので、これぐらいにして。

昭和20年8月1日―屋久島上空の空戦。

沖縄から発進したB24数十機を迎え撃つため、菅野大尉を指揮官として、343空可動全機・二十余機で出撃しました。
この日の空戦で菅野大尉は行方不明。戦死と認定されました。
生きている菅野大尉の最後の目撃者は「ホリブン」こと、堀光雄飛曹長です。
堀さんはこの日、第2区隊長として戦闘に参加していました。
屋久島付近でB24の編隊を発見した菅野大尉以下は攻撃に移りました。
堀さんが一撃をかけて急降下の途中、
「ワレ機銃筒内爆発ス。ワレカンノ一番」
と電話が入ったそうです。
堀さんは、ずっと下の方を水平に飛んでいる隊長機を見つけ、降下して追いつきました。
隊長機の左翼日の丸の少し右に大きな穴が開いているのが見えたそうです。こうなったら、もう空戦はムリです。空戦どころか、飛んでいるのがやっとという状態なのではないでしょうか。
いま、敵戦闘機が現れたら大変だ、と思い、堀さんは隊長を掩護しようとします。しかし、菅野隊長は指先でB24の方を指差しました。「おれにかまわず敵を追え、攻撃第一だ」。
堀さんは、それでもそばを離れませんでした。
再び、菅野隊長は「行け」。
堀さんは、「指示は理解していますが、離れられません」と手を挙げて示し、隊長の命令を無視してそばについていました。
とうとう菅野隊長は堀さんに向って、こぶしを固め、拳固で殴る格好をしてきました。
ここで堀さんもとうとう命令に従うことにして、隊長機のそばを離れてしまいます。それまで怒っていた菅野隊長は柔らかい表情をして堀さんを見送ったそうです。

堀さんは空戦に戻りました。
しばらくして、隊長から、
「空戦ヤメアツマレ」
と電話が入り、堀さんも空戦をやめて急いで菅野隊長を探しまわったのですが、もう、どこにも隊長機の姿はありませんでした。

部下であったK上飛曹にお聞きした菅野大尉の印象―「猪突猛進」―だそうです。
源田司令も菅野隊長のことを「やんちゃ坊主」「勇将」と評しています。

海軍時代、周囲には「猛将」という印象を与えていた菅野大尉も、中学時代は石川啄木に傾倒し、短歌にのめり込んでいた文学少年でした。
指揮官としての菅野大尉は、繊細なロマンティストの一面をひた隠しにして振る舞っていたような気がします。
誰にも見られず、たった一人で屋久島の海に消えてしまいました・・・・最後は本当の自分に戻れたでしょうか・・・・。

参考:碇義朗『最後の撃墜王』光人社、堀光雄『紫電改空戦記』今日の教養文庫、K上飛曹の手紙

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