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天晴れ!! 千歳空戦闘機隊!!2008年07月12日 18時01分26秒

千歳空戦闘機隊にとって、とっても不名誉な出来事がありました。
(当の搭乗員たちが書き残したものは見たことがないのですが、もし、わたしが搭乗員だったら、これはかなりプライドを傷つけられる出来事です)

17年1月25日、トラックにいた千歳空戦闘機隊は空母経由でラバウルに進出することになりました(当時、まだ96戦です)。
しかし、千歳空には空母に着艦したことのある搭乗員が少なかったということで、ある秘策が行われたのです。
実はこの千歳空戦闘機隊の一員に、われらが(?)西澤一飛曹も含まれていました。

まず、空母(瑞鶴、翔鶴)から艦攻がトラックにやってきます。この艦攻の後席には空母の戦闘機搭乗員が同乗してやってきました。
この母艦戦闘機搭乗員が、千歳空の96戦を空母に運ぶのです。
んで、自分たちの乗機を他人に運んでもらった西澤さんやその他千歳空戦闘機隊搭乗員はどうしたかというと、先に母艦戦闘機搭乗員を乗せてやって来た艦攻の後席に便乗して空母に乗せていってもらう、という、何とも情けない(といったら怒られるかな?)ことになってしまいました。
(西澤さんが艦攻の後席に便乗して運んでもらっている図など、想像したくないですよねー)

着艦経験者が少ないということで、万一のことを考え、一番慎重な策を取ったのだとは思いますが、千歳空戦闘機隊のみなさん、
「馬鹿にするなっ!!」
と憤慨しなかったのでしょうか。さすがに、
「一か八かやらせてみろ!」
というわけにはいかなかったのでしょうね。
この時の西澤さんの心境、ぜひ、聞いてみたかったなあ。「おれに着艦させろ」と艦攻の後席から身を乗り出さなかったかな?(操縦席と偵察席は行き来不可能でしたっけ?)

ここまでは「情けない話」なのですが、かれらの名誉挽回の機会は翌日早速やってきます。

着艦に比べて発艦は容易なのでしょう。
千歳空戦闘機隊は、空母でラバウルまで飛行可能な位置まで運んでもらい、次々に発艦していきました。今度は、ちゃんと愛機を操縦しての発艦です。
ところが、なんということでしょう。
天候不良でラバウルに着陸できないことがわかりました。しかたなく、全機、発艦した空母まで引き返すことになりました。
ここで「さすが千歳空戦闘機隊っ!!」です。
未経験者にとってはまったく初めての経験にも関わらず、見事、全機、無事空母に着艦できたそうです。
西澤さんも、古い人なので、着艦訓練はやっていたと思いますが、母艦勤務の経験はないので、これが初着艦、しかも、最後の着艦になったのではないかと想像します(こののち、空母で戦地に輸送してもらったりって経験はあるのかな?)。

この前日の「代理着艦」、翌日の「全機無事着艦」の話も以前から知っていたのですが、最近読んでいる手記の著者、門司親徳さんが、このとき、『瑞鶴』に乗っていて、この騒動のことを手記に書いていました。
ラバウルに行ったはずの連中が、引き返してくるとわかったとき、艦内はひと騒動だったらしいです。そりゃあ、そうでしょう。自分のところの搭乗員ならまだしも、便乗搭乗員たちが着艦に失敗して飛行甲板上をめちゃくちゃにしてしまったらたまりませんものね。索で止まれず海上に落ちてしまったら、駆逐艦で拾い上げないといけません。最悪、死傷者がでるかもしれないですし。大変なことになります。
「それにしても、いざというときには、未経験のことをし遂げるものだと思った」
と門司さんは感想を述べられています。

西澤さんの発着艦を、もしかしたら、門司さんは見ていたかもしれないのだなあ・・・・。
(西澤さんが瑞鶴組か翔鶴組か不明)

園児募集のポスター2008年07月12日 22時09分35秒

園児募集のポスター
めったに行かない近所のスーパーに、今日数か月ぶりに行ったところ、こんなポスターを見つけました。
(一部、幼稚園名が特定される情報は伏せてあります)

「おっ、春海が行っていた幼稚園だ~」
と思って、見てみたら、春海の同級生の顔がちらほらあるではないか。

「あれ?」
春海も写っているっ!!

というわけで、ご近所にお住まいのみなさん、このポスターを見かけたら、春海を探してみてください。
2カ所写っています。

1つは後ろ姿なので、たぶん、親以外の人が探しても無理でしょう。オレンジのスモックを着ています。

もう1つは顔の一部が写っています♥
ヒント:「羊飼い」です。

ついでに。
春海が幼稚園時代、2番目に好きだと言っていたいちたくんがでかでかと写っています。

ではでは