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猪口智中尉2008年03月31日 09時38分34秒

最近、杉野計雄さんの『撃墜王の素顔』光人社NF文庫が装丁を改めてまた書店に並んでいるよう・・・・。
K林堂はこれを入れていないようですが、先日神田に行ったとき、表紙の写真が入れ替わっている『撃墜王の素顔』を店頭で見かけました。

杉野計雄さんは大正10年生まれの戦闘機乗りで、丙3期出身。
余談ですが、先日も書きましたが、丙3期と言えば杉田庄一、柳谷謙治(ともに山本長官護衛戦闘機)、堀さんの582空のところで書いた明慶幡五郎、ほかにも沖繁国男、鹿野至、石原泉、谷水竹雄、山崎卓・・・・なんか聞いたことがあるぞ、って人たちがたくさんいます。

まあ、それは横に置いておいて、杉野さんの手記ですが、この中に「猪口智中尉」という人が出てきます。
お父さんも海軍、おじさんも海軍、自身も兵学校の72期を卒業した戦闘機乗りです。

杉野さんは634空時代、フィリピンで猪口中尉と一緒でした。
昭和19年10月24日、杉野さんは空戦が終わって引き上げる時、傷ついた戦艦武蔵を上空から見かけます。杉野さんが見かけたときは異様な航跡ながらも、まだ単艦で航行していたということですが、ご存知のように敵の集中攻撃を一手に引き受けた武蔵はこのあとシブヤン海の海の底深くに沈んでしまいました。

大和と違い、あまり武蔵のことは話題になりませんが、この武蔵の猪口敏平艦長が猪口智中尉のお父さんなのです。猪口艦長もこのとき、艦と運命を共にしました。

武蔵の傷ついた姿を目撃した杉野さんは帰投してからそのことを報告したらしいのですが、そのときはまだ猪口中尉は出撃から帰っておらず、そのことを知らせずに済んだのが何よりの救いであったと杉野さんは回想しています。

でも、そんなこと、いつまでも隠し通せるものではありません。

11月2日。
杉野さんは出撃したものの被弾し、クラークまで帰れないと判断してセブに緊急着陸しました。
指揮所で報告し、汗を拭いていたら、ひょっこりと猪口中尉が現れ、
「先任搭乗員!」
と声をかけてきたそうです。
「ああ、セブに降りていたのですか」
猪口中尉も、攻撃に出て被弾し、セブに降りていて、たまたま一緒になったようです。

しばらくして、そこに猪口力平航空参謀が姿を現わしました。
この人は猪口艦長の弟、つまり、智中尉のおじさんです。神風特攻隊にも深くかかわった人です。
杉野さんを手招きし、二人で外に出ました。
「智が『武蔵』の沈没を知り、興奮している。昨夜話し合ったが、先任、よろしく頼む」
と猪口参謀に言われたそうです。

実は杉野さんにとって猪口中尉はただ単に隊の上官、というだけの人ではなかったのです。
まだ内地にいる頃の話ですが、9月に戦闘機教程を卒業して実施部隊に配属されてきた猪口中尉(もう一人、同期の赤井賢行中尉)に空戦指導をしたのが先任搭乗員だった杉野さんだったのです。
「この二人は、私を見ると、遠慮がちに、空戦に射撃に『お願いします』といっては訓練に励み、ますます技倆は向上していった」
と当時のことを回想しています。
ですから、上官であるとともに教え子でもあり、特に気にかかる存在であったのでしょう。

猪口参謀が杉野さんに何を「頼んだ」のか、この手記からは具体的にはわからないのですが、猪口中尉が暴走しないように見ておいてくれ、と頼んだのか、武蔵の最後を話してやってほしいと頼んだのか・・・・。

でも杉野さんは武蔵の最後の姿を見ていながら、猪口中尉の苦悶する姿に、どうしても話してやれなかったそうです。

そして翌日、11月3日。
杉野さんは出撃する機を見送るために指揮所に向かって歩いている時、傘帯をつけた中尉が列線に走って行く後ろ姿を見つけます。
見覚えのある後ろ姿は、猪口中尉でした。
この日、猪口中尉に出撃の予定はなかったようです。杉野さんが何事だろうと思って見ていると、エンジンもかかっている準備済みの零戦に駆け寄り、すでに搭乗している搭乗員を降ろして乗り込んでしまいました。
猪口中尉に下ろされた搭乗員は指揮所に戻ってきて、中尉の人に降りろと命じられたと報告したそうです。
猪口中尉はそのまま出撃し、戻ってきませんでした。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/03-senbotu-syasin-316-3321.html

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