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堀光雄飛曹長のこと32008年03月06日 12時58分25秒

さてさて、皇統護持作戦も終わり、堀飛曹長も岐阜に復員したはずですが、そこらへんのことはまったくわかりません。

次にこの人がわたしの目に触れるのは昭和29年の全日空入社です。
その間に結婚されていて、お子さんも生まれていて、姓も「三上」に変わっています。なので、ここからは三上さんで・・・・。

全日空に入社した三上機長、この後、管見では二度新聞沙汰になっています。

一度目は昭和33年、エンジントラブルで航空自衛隊浜松基地に不時着、というニュースです。
このときの新聞に三上機長のコメントが載っているのですが、
「(エンジントラブルで右エンジンが停止した)、左だけで小牧まで十分飛べる自信はあったが、大事をとって一番近い浜松基地に降りた」
と言っています。
「小牧まで十分飛べる自信があった」ってところが戦闘機乗りらしいなあ、って感じがするし、でも「大事をとって」降りたところはさすがベテランだなあ、って思いました。

二度目の新聞沙汰は「ハイジャック」です。
昭和45年8月、女に振られてやけくそになった自殺志願の男に飛行機を乗っ取られてしまったのです。
名古屋から札幌に向かっていたのですが、またまた浜松基地に緊急着陸です。
碇義朗さんの『最後の撃墜王』によると、このとき、三上機長の活躍で犯人が投降したような印象に書かれているのですが、新聞記事を読むとちょっとニュアンスが違うんですよねえ。
ハイジャックされてしまったとき、二重ロックがかかっているはずの操縦席のドアが開いていて簡単に犯人に入られてしまった、とか、犯人は投降したのではなく、乗客の一人が考えたトリックに引っ掛かり取り押さえられた、とか。

浜松着陸後、膠着状態のときに、乗客の一人が犯人のピストルがおもちゃであることに気づき、客室に出てきていた三上機長に、
「犯人のピストルはおもちゃだ。キャプテン、やろう」
とこっそりと”襲撃”を持ちかけたそうなのですが、三上さんは、
「もう少し様子を見てから」
と、答えたということです。
三上さんは戦闘機乗り出身にしては慎重派だったようです。

乗客の一人が若い女性に妊婦に化けるよう協力を依頼し、犯人に、
「この人がつわりで気分が悪い。降ろしてほしい」
と頼んだところ、犯人はそれを了承し彼女を解放。その隙に警察が機内に踏み込んで取り押さえたということです。

まあ、何にしても一人の犠牲者も出ず、無事でよかったです。

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