Google
WWWを検索 ひねもすを検索

千浩荘の愉快な仲間42008年02月07日 10時10分29秒

左の男がWです!
狭い6畳一間で、見ず知らずの女性と同衾するハメになったママ・・・・。

Wの鬼畜のような所行は許せないとして、その人はとってもいい人でした。幼稚園だか保育園の先生だとか言っていたような気がします。
夜中、布団の中で、結構、いろんなことを話しました。
といっても、二人の共通の話題は「W」のことしかありませんので、中学時代のWの話とか聞いていたような気がします。
「かれは中学の頃から空に憧れていた」
と。

その夜、Wと、部屋に上がり込んでいた彼女との間でどんな修羅場があったかは知りませんが、彼女だけ部屋にとどまり、Wは友人の家に避難したと記憶しております。

翌朝、わたしの部屋に泊まった彼女は、駅前のミスドでWと待ち合わせした、と言うので、わたしが駅前のミスドまで連れて行きました。
Wにひとこと文句を言ってやろうと思って、一緒にミスドに入って待っていたのですが、時間が過ぎてもWは現れません。

当時は携帯電話もなく、連絡不可能な状態のまま時間が過ぎていきます・・・・。
彼女は午後の特急で○○○に帰ることになっていました(予約済み)。大阪市内に出て時間をつぶします、と寂しそうに言うので、じゃあ、一緒に行きましょう、とママは付き合ってしまいました。
観光地を二人でぶらぶらし、時間をつぶし、特急の時間に最寄り駅まで送っていきました。
鶴橋で特急に乗るのを見送ってから、わたしは下宿に戻り・・・・。

その夜、もちろん、戻ってきたWを糾弾しました。
「どこ行っとったんや! 鶴橋まで送っていったんやで!」
「ごめん! ごめん! ありがとう」
ひたすら低姿勢で謝るW。

実はあのあと、友人の家に避難して、徹マンしていて朝起きられなくてミスドに来れなかったとか。呆れてものも言えません。

彼女が持っていた特急券の時間がわかっていたので、かれは始発駅に行ったらしいのですが、わたしが観光していた場所の最寄り駅から特急に乗せたため、出会えなかったのです。

その数日後、わたし宛に宅急便が届きました。
見ると、差出人は泊めてあげたあの彼女です。Wにではなく、わたしに荷物でした。
何だろう、と思って開けてみたら、お礼状と一緒に、ういろうやら味噌煮込みうどんやら、その地の特産品が箱にぎっしりつまっていました。

Wは千浩荘の3人のうちで最初にそこを出ていきました。
大学を途中で退学したんです。
「航空大学に行く」
と言って。

一度、宮崎に帰省したとき、寮生活をしていたかれを市内の喫茶店に呼び出して会いましたが、それがかれに会った最後です。
あのあと、よその訓練地に移動してしまい、音信不通になってしまいました。

念願通りパイロットになれているのかなあ・・・・。
飛行機に乗ると必ず機長の名前を耳を澄ませて聞いているのですが、まだかれの飛行機に当たったことはありません。
おそろしいような・・・・乗ってみたいような・・・・。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック