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二人の中尉2008年02月02日 21時13分53秒

朝は西澤飛曹長の知られざる一面を知り涙し、夜は深井中尉に涙、です。

最近、続いています。
数日前に、海兵72期のブログに、野中繁男中尉が海兵卒業時に書いた『征空萬里』という寄せ書きの写真が出ていました。
他の同期生数人の寄せ書きも掲載してあったのですが、わたしが名前を知っていたのは野中中尉だけでした。
野中中尉は深井中尉の同僚であり、親友であり、深井中尉の特攻戦死されるひと月ちょっと前の昭和20年4月6日に宇佐空の八幡護皇隊の指揮官の一人として特攻戦死されています。

ものにこだわらないさっぱりした明るい人だったようで、教え子の予備学生から次のように評されています。
もし、一緒に死ぬとしたら・・・・という仮定で、数人の上官の名前を挙げているのですが、
M大尉・・・・男らしく死ねるだろう
N中尉・・・・一緒に死にたくないと思って死ねるだろう
Y大尉・・・・夢中で死ねるだろう
そして、野中繁男中尉は、「愉快に死ねるだろう」です。

この野中中尉が兵学校卒業時に書いたという『征空萬里』。
当時はまだ特攻作戦が開始される1年以上も前。
おそらく、これから飛行機乗りになるということに夢や希望をたくさん抱いて、この文字を書いたのだと思うのですが、中尉の最期を思うと逆に悲しくなってしまうことばです。

そして、今日は深井中尉。
奉職履歴の最後の行にたった一行「20.5.11.戦死」と書かれてあるのを見て、無性にもの悲しくなりました。
22年。
海軍に入って5年。22歳で国のためにたった一つしかない命を捧げて、これなのか・・・・と。

深井中尉の所属するK501は飛行隊長が特攻反対を明言している隊でした。
特攻反対の飛行隊としては美濃部正隊長の彗星夜戦・芙蓉部隊(通称)が有名ですが、美濃部隊長以外にも特攻に堂々と反対し、特攻以外の正攻法を続けようとしていた隊長がいるのです。

深井中尉がどうして特攻に行かなければならなかったのか・・・・。
「20.5.11.戦死」、これだけですませてほしくないな・・・・。

※野中中尉の寄せ書きと深井中尉の奉職履歴は「なにわ会のブログ」に出ています。
http://naniwana.exblog.jp/

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